ムーンライト・セレナーデ
子供の頃から目指していた偏差値の高い大学に、ようやく合格したのに、それで燃え尽きたり、お金持ちになったのに、かえって家庭が不和になったり、好きな人をライバルから奪ったのに、けっきょくうまくいかなかったり。自分をもてあまして無気力になってし…
中年童貞はネット右翼になりやすいと言う人がいる。人間関係や社会において孤立して不遇だったことのもう一つの理由のようだ。ネットの中での韓国人や朝鮮人への過剰なヘイトスピーチは、介護施設の末端で頻繁に起こっている弱い者イジメと同じ性質のようだ…
男性独自の冷静沈着、客観的な判断力というのは、多く童貞を失うことによって得られるものだからであります。童貞のあいだのものの考え方には、どうも禁欲からくるマイナスがある。「貞潔は、ある人々においては徳であるが、多くの者においては、ほとんど悪…
ゲイリー・ダイヤルのピアノのみをバックに、そのグルーミーな歌声で切々と歌い上げ心に沁みる、ミリー・ヴァーノンの♪Spring Is Here、向田邦子はよくこんな曲を知っていたものだと関心する。さすがだ。彼女は言っている。1950年代に、たった一枚のレコード…
心中した太宰治と山崎富栄には犯罪性が認められなかったので解剖はされなかった。両家族の間で火葬場について話し合われた。「二人は一緒に逝ったんだから、同じ火葬場で骨にしてやりましょう」東大仏文の先輩で、作家、翻訳家の豊島与志雄が言う。豊島はす…
「ずいぶん男っぷりのいい女ね」と言われた。意味がよく分からなかったので、周りの人に尋ねてみたら、男性に対して使う誉め言葉を女性に言うのは、自立した女、という意味なんですよ。と説明されて、得心した。最近では一番嬉しい評価だった。どちらかとい…
明治38年の夏がきた。子供の生まれる日が近づいて繁は福田たねを伴い、思い出深い房州へ行った。一文の銭もなかった。困り果てた繁はワットマン(画用紙)に浮世絵を描いて生活の道をたてることを考えた。四つ切りに水彩具を塗りつけ、『日本絵師出雲朱彦(…
ゴッホの「ヌード象」は、ゴッホの心理をよくあらわしている。彼はある時点で正常な女性関係というものを断念してしまう。そのあともちろん付き合った女性はいるが、それはゴーギャンと一緒にやるアルルの夜の衛生的な散歩といったような、単なる肉体的な問…
日本大学が全学共闘会議を結成したのは1968年5月27日、東大医学部の全学闘争委員会の学生たちが本郷の安田講堂を占拠したのは同年6月15日。新宿騒擾事件が勃発したのは10月21日。日大と東大という対照的とも言える二つの大学が中心となったことで、この年、…
1885年5月から翌年2月まで、ゴッホはあたたかい食事をとったのは僅か六、七回であると書いている。ために、32歳のとき10本の歯をなくし、食物は呑み下し、胃を病んでいた。彼はテオに手紙する。濃いスープでも飲めたら、少しは元気になるのだが。煙草をひっ…
関東軍特殊演習というのを聞いたことがあるだろうか。所謂、関特演で1941年7月2日の御前会議の決定にもとづき、天皇の允裁を経て参謀本部が動員令を下し、戦時動員として80万の大軍をソ連国境に集結し、シベリアの占領地行政の計画とか、あるいは開戦後の満…
昨夜枕についてから歌を作り初めたが、興が刻一刻に熾(さか)んになって来て、遂ゞ徹也。夜が明けて、本妙寺の墓地を散歩して来た。たとへるとものもなく心地がすがすがしい。興はまだつづいて、午前十一時頃まで作ったもの、昨夜百ニ十首の餘。君の名をほ…
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とはドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉だ。歴史に学ぶとは、自分とは異なる経験・思考・能力を有する先人の存在を認め、その人物の真実にどれだけ肉薄するかという精神活動であろう。だから新たな発見があ…
木山捷平(1904年3月26日 - 1968年8月23日)という小説家を知っているだろうか。「木山捷平全集」の紹介文に井伏鱒二はこのように書いている。「男子の胸の中には婦女子の知らない磊塊(積み重なった不平)というものがあって、心ある人は胸の中のそれに酒を…
竹久夢二は『出奔』の中で、「京都時代は、生涯のうちで最も光彩陸離なロマンチックな場面に富んでいる」と語っている。これは要するに、京都でひこ乃と同棲した思い出が夢二にこれほど京都を懐かしませるのであって、実際には大正六年七月から同八年まであ…
東京大学名誉教授の養老孟司氏の御母堂は明治33年、19世紀最後の年の生まれだとか。それがある日、出し抜けに「私の時代はね、恋の丸ビル、あの窓あたり、泣いて文かく人もある、なんて唄があったのよ」自分の過去について、私にあまり語ったことがない親だ…
白鷺が小首傾(かた)げて二の足ふんで やつれ姿の水鏡 紅葉ふみわけ啼く鹿さえも 恋にこがれて妻をよぶ 欲深き人の心と降る雪は つもるにつけて道を忘るる 酒飲みは奴豆腐にさも似たり はじめ四角で末はぐずぐず 草の名も所によりて変わるなり 浪花の葦は伊…
2015年にフェルメール・マニアを驚かせたのは、320年の時を経て、『小路』に描かれた場所が解明されたというニュースだった。『デフォルトの眺望』と並んで、2作品しか現存しないフェルメールの風景画のひとつである『小路』、2軒の家屋が並ぶその風景はいっ…
20年ほど前の朝日新聞にという記事があった。自衛官の男性を恋人に持つ札幌の女性が、「私の彼がイラクに派遣されます。反対の署名に協力してください」といって、たったひとりで派遣反対の街頭署名活動を始めたというのだ。しかし、その札幌の自衛官は「め…
ある本に、花魁になるために一番の習い事はなんだとお思いになる? 人によって多少いうことはちがうだろうが、わしならまず書を挙げる。水草の後もうるわし恋文をもらったら、客人はすっ飛んで会いに来るだろうし、金釘流じゃ愛想も小想も尽き果てたといわれ…
20代の頃、司馬遼太郎の『義経』を読んで、壇ノ浦で平家が滅ぶ時、平清盛の妻である 二位の尼が孫の安徳天皇を抱き、海の底にも都がありますよと言っていっしょに身を投げたこと、そして高倉天皇の后であり安徳天皇の生母である建礼門院は入水したものの東国…
小学校六年のとき、父に買ってもらったガラス製の筆立てを落として割ってしまった。「買ってやった筆立てはどうした」なくなっているのに気が付いた父が、たずねた。「壊れました」軽い気持ちで答えると、急に語気を強め、「もう一度いってみろ」あっ、怒ら…
室生犀星と萩原朔太郎は親友でありながら、酒の席となると直ぐ喧嘩となり帰ったらしい。ある晩、二人して入った酒場に見た顔があり、それは小林秀雄だった。犀星にとっては初対面と変わりない間柄だったが朔太郎とは旧知の仲らしく、小林は大分出来上がって…
戦後すぐ書かれた「魂の行くえ」という評論で柳田國男は、こう書いている。日本を囲繞(いによう)したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、清粗幾通りもの形をもって、おおよそは行きわたっている。ひとりこう…
死にたいと誰でも一度は思うものだという。それは本当に死を願っている場合もあれば、より正確には「今の人生から逃げ出したい」という願望のこともある。他人の人生は輝いて見える。死さえ、今の人生よりましに見えてしまう。しかし、どんな人生にしろ、は…
昔、宇都宮の駅の近くに千束屋という旅籠屋があって、そこに、佐の市という名の色白で顔つやの良い盲目の按摩が世話になっていた。旅籠の主人夫婦は佐の市を可愛がり、彼らの一人娘で宇都宮一の容色(きりょう)とうたわれていたお久米も彼に親切だった。佐…
人間というのは、六十歳を過ぎてから大きく成長するのです。初めて人生を俯瞰することができ、なんのために生きるのかという若いころからの問いに対する答えをやっと見つけ、人間性を磨くことができるのです。それまで自分の家庭を守ることを第一義に考える…
ちょうど20年前に1月、川崎の古本屋で中学生が本を万引きし、それを発見した店主により警察に引き渡され、その途中で逃走を図った少年が電車にはねられ死亡した。事件が新聞などで報道された直後、その古書店に「たかが万引きで警察を呼ぶな」「人殺し」とい…
ここ最近、世界陸上を見ていると、ロシアのような東欧諸国にはあまりいないが、西欧諸国のありとあらゆる国にアフリカ系の人が分布しているのが分かる。黒い肌色を見ただけでは何人か分からない。日本人でもアフリカ系の人が出場しているぐらいだから。 コロ…
キュビズムとはピカソとジョルジュ・ブラックという、ふたりの若い画家が協働して生み出した画期的な絵画手法で、1907年頃から始まった。人物、静物、風景など、対象物を解体して立方体に置き換え、カンヴァスの上に再構築するという斬新なアイデアのもとに…