愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ピエール=オーギュスト・ルノワール Part.24 

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《自画像》

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《菊の花瓶》(1890年) 個人蔵

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《道化の衣装のクロード・ルノワール》(1909年) オランジュリー美術館

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《ピアノを弾く若い女性》1876年 シカゴ美術館

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《菊の花束と日本の団扇》(1880-1882年頃) プーシキン美術館

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《休息する若い羊飼い》

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《バラの花束》(1890-1900年頃) 個人蔵

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《花瓶の花》(1896-1898年頃) オランジュリー美術館

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《たまねぎ》(1881年) クラーク美術館

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《読書)(1877年) 個人蔵
ねえねえ、ルノワールなんて呼びづらいからこれからピエールと呼ぶけどさ、アナタだち19世紀の人は画家も小説家も必要以上に髭を伸ばすけど、それは剃るのが面倒だからか流行りだったのかどちらなの。
アナタの自画像があるけどトルストイなんかもぼーぼーだよね。
第一奥さんたちはどう思っていたのかな。
これじゃキスも出来ないよ。
まだ電気カミソリのない時代だからね。
とにかくさ、今の世では流行らないからそんな髭の人はいないしモテないからね。
それにさ、アンタ、静物画が多いでしょ、特に花なんかね。
どうも好きになれないな、印象派が苦手でね、御免なさいね生意気云って。

吉原手引草  松井 今朝子

直木賞作家の松井今朝子という人は、まあ、恐るべき時代小説家だよね。

経歴を見ると1953年、京都・祇園にある料亭の娘として生まれる、聖母学院中学高等学校卒、早稲田大学第一文学部演劇学科卒、同大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了後、松竹株式会社に入社、歌舞伎の企画・制作に携わる。松竹を退職後フリーとなり、武智鉄二に師事して、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけるようになる。

とあるが、本を読んでいると、まるで江戸の人かと思わせるほどの抜群な時代考証と江戸言葉。

これでは選考人も適うまい。

本書は廓からいなくなった葛城花魁を、一人の聞き手が葛城と関係のあった𠮷原で働く人17人に訊いて回る話だが、これがまあ落語を読んでいるような塩梅で、訊かれる方が聞き手の言葉まで取って話している点、まるで寅さんのアリアのようで、実に巧妙でお見事。

つまり、訊き手の御仁は全く口を挟まず、参考人のような町民が全て1人で語る話が17話。

果たして花魁は何処へ消えたのかと。

インドシナ

鑑賞『インドシナカトリーヌ・ドヌーヴ主演のフランスの映画で、1930年代のフランス領インドシナを舞台としたドラマ。

戦前、日本では仏領インドシナ仏印)と言われた地域のことで、現在のベトナム辺りを指すが、確かその時代には安南人と言われていたと思う。

その安南の王族である友人夫妻を飛行機事故で失い、遺児のカミーユを養女として、遺産である広大なゴム園の経営も引き受けたドヌーヴの前に現れた、フランス軍大尉と熱烈な恋愛関係になるのだが、脚本はどうなのか知らないが、あまりにも陳腐な始まりで直ぐ熱愛というのは見ていて違和感がある。

それにどう見てもドヌーヴの方がかなり年上。

更に首をひねるのは、ちょっとした事件に偶然居合わせた大尉がドヌーヴの養女を救ったことで、養女が大尉に「アナタなしでは生きていけない」とはお笑い種だ。

ドヌーヴと少女のような養女が同じ男性を好きになるという設定には、さすがにこの映画が失敗作だと思わざるを得ない。

それならドヌーヴじゃなくもっと若い30代ぐらいの女優をキャスティングするべきだった。

インドシナ独立戦争が起こり始める頃だが、製作費の高さからみても、もっと政治的な色合いを強めた方が良かったように思う。

全般的荒唐無稽なあらすじばかりで単なる色恋沙汰になってしまっている。

椅子セール

さあ、椅子は要らんかね。お安くしとくよ。一脚280円だからね。どれでも好きなの選んで。あれだけ沢山あったのにかなり売れたからね、1550しかなくなっちゃった。さあ、そこの彼女、椅子はどうかね。

 

 

ブログ再開

こんにちは。まるで駄目男です。

長らく休んでしまいましたが、どっこい生きています。

心身ともに健康を害し落ち込む日々でしたが、読書だけは怠りなく続けておりました。

遅読ながら寄り添うのは古本だけです。

調べてみると1月21日が最後の更新で、それ以来、交信を経ったようです(笑)

そろそろ、私の存在も忘れ去られたと思うので、ここにこっそりと、おもむろに、独り佇み再起しようとぺんを、いやいや、パソコンの前に座りました。

併し、我が家にはエアコン、扇風機がないので、海外から扇子あおり嬢を雇って、このような状態で日々過ごしております。

暑い盛り、盛りのついた猫も何処かに消え去り、盛りのなくなった私は、盛り場のない街をほっつき歩き、ブログネタを考えておりました。

それでは本日よりブログ再開致します。

アルバート・ジョゼフ・ムーア 《ミッドサマー》1887年

 

奈良井宿

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「お武家様、今日のお宿はもうお決まりでしょうか。なんなら手前のところに泊まってもらえませぬか。お武家様」

「・・・」

「しつこいようですがお武家様。見てのとおり、最近、この界隈の街並みはすっかり寂れてしまいまして、京、大坂はもちろん、江戸からの客もとんと途絶えてしまいました。なんでも流行病で軒並み大店なんかも店仕舞いして国元に帰っているとか聞きます。番頭さんにまで暇を出していると聞き及んでおります。年明け早々、うちの宿にお泊り頂いたお客も僅かに八人。どうかお情けだと思うて今宵、お泊り頂けませぬか」

「亭主、左様に不景気か」

「はい、それはもう」

「相分かった。其の方の宿に案内いたせ」

「はぁ、ありがとうございます。ささ、こちらで御座います」

「その代わり夕餉にはせいぜい馳走致せよ」

「はい、それはもう分かり申しております」

 

拙者儀、心身不調につき、暫くはここ信州奈良井宿に長逗留する所存にて、ブログは当分の間、休ませて貰いたいと思うております。

申し訳ござらぬ。

また、再開の儀あらば、その節は宜しくお願い申し上げ候。

ではみなさま、流行病など罹らぬようご用心召され。