愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

やまいだれの歌 西村賢太

彼の本を読んでいて不思議に思うことがある。中卒、不登校家庭内暴力、学歴がないのをコンプレックスと自ら頭が悪いといいつつ、芥川賞作家になれるものなのだろうか。いや、学歴詐称などと言っているのではない。それらの悩みを解消し小説家になるには、ただひたすら読書に励むしか手があるまい。得られる知識、鑑賞力に感性、集中力などが、本人も気づかぬうちに優れた才能を発揮したということだろうか。事実、彼の文章にはとんでもなく難しい漢字が現れる。この「やまいだれ」という漢字からして読めない。私などが思うに読書量が多ければ作家になれるというものではない。そんなことなら私だってなりたい。併し、どうも彼の私小説は私には合わない。著者を投影した北町貫多なる人物の人を見下した態度。怠惰の生活習慣、風俗通い、日雇い仕事で日当は酒、煙草に消えるのが常のことで、どの本もその辺は似たり寄ったり。まあ、私小説だからあたりまえだが、言葉使いも汚く、女性を性の捌け口と考え、帰宅時には毎回、自慰行為がある。私が小説家なら自慰などは書けないな。読んでいて不愉快な点も多々あるが、おかしなことに私の知人の女性は西村賢太 のファンなのだ。女性なのに彼の文章に嫌悪感を覚えないのはこれ如何に、不思議でしょうがない。

「パイレーツ・オブ・FM」 『アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ』

youtu.be

今朝の1曲は60年代、一世を風靡したモータウンのフォー・トップスで大ヒットした『アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ』です。この曲を聴くと自然と体が動きます。数々のヒットを飛ばし、多くの有名アーティストを生んだモータウン、大好きです。

「ムーンライト・セレナーデ」 SMの女王 谷ナオミ

団 鬼六といえばSMものなどの官能小説の第一人者として著名であるが、私自身は名前こそ著名であるから知ってはいたが、著書は読んだことがない。もっとも作品はSM雑誌に載っていたと思うので、その手に雑誌を買ったことがない。併し、私のよく知る大阪十三の小さな商店街の裏通りにある仏壇屋の二階、出入りは裏階段を使っているから仏壇屋の老夫婦に気兼ねすることはないと、昔の住まいを明かしている。現在、十三の商店街に仏壇屋は一見あるが、裏通りではないが潰れてしまったのだろうか。 鬼六先生も2011年に亡くなっているので確かめようがない。その鬼六先生が面接したピンク女優志望の女性が、昭和40年代に日活ロマンポルノで人気を博した谷ナオミである。その当時、池玲子、白川和子と並んでSMの女王として絶大な人気だった。セクシーな顔立ちと艶めかしい姿態が責めの男心はまさぐったのか、よく看板などで見かけたもので、私も1本ぐらいは観たかもしれない。このグラマー女優の芸名は、谷崎潤一郎の谷と、『痴人の愛』の主人公、ナオミから取って自ら命名したものらしい。谷ナオミ、18歳の時の話である。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。というと昭和42年のことで、現在彼女は75歳、お元気でお過ごしならそれは良かった。おやすみなさい、また明日。

ジョン・ホワイト・アレクサンダー 1856年10月7日 - 1915年5月31日 

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ジョン・ホワイト・アレクサンダー

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マーク・トウェイン

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《一条の日光》(1898年)

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《ル・チャット・ノワール》 (1896年) 

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《イザベルとバジルの鉢》(1897年)ボストン美術館

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《黒と緑の習作》(1906年メトロポリタン美術館

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《バラ》(1900年)

《指輪》1911年

静寂の時間

怠惰な時間

《緑のドレスの女性》(1890年)

ジョンさん、下に《緑のドレスの女性》という作品がありますが、アナタの女性はほとんど緑の女性ですが。さらに室内画が多いですね。もっと外に出て写生したらどうですか、これといって目立つ絵がないんですよ。

川島芳子、10代の頃の写真が2枚、見つかった。

旧日本軍のスパイとして活動したとされる清朝の王女川島芳子が、10代を過ごした長野県松本市などで撮られたとみられる写真が2枚、見つかった。「男装の麗人」とも呼ばれた川島の断髪前の姿に、所有者は「激動の人生が始まる前の表情をとらえた貴重な写真だ」と話す。川島は1907年に清朝親王の王女として生まれ、日本人、川島浪速の養女となった後、松本市の旧制松本高等女学校に一時通った。2枚はいずれも、松本市文書館の木曽寿紀専門員(31)がインターネットオークションで入手したもので、退学して養父の秘書になった頃のものとみられる。このうち、傘を差して別の女性と写ったものは、当時の新聞記者が所有していたアルバムにあり、台紙には24年に松本市の山荘で撮影したと記されている。因みに養父とは川島浪速のことだが、貴重な写真だね。

フローレンス・ピュー 1996年1月3日 - 

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フローレンスさん、アナタ、『オッペンハイマー』に出演したんですか。凄いですね、めきめき才能を発揮しているようじゃありませんか。美人ですし、ますます将来が楽しみですね。私としては若手のうちになんとかアナタに近づいておきたいのですが。とりあえずハリウッドまで行ってみますが、アナタと巡り合えればいいのですが。