私のカフェ友の4人はいずれも本を読むのを一種の趣味にしているが、併し、私とは大いに異なる点がある。4人全員が口を揃えて「あまり肩の凝るようなものは読まない」と仰る。彼ら4人はいずれも年上で男3人女1人。先ず男2人は必ず時代小説しか読まない。今1人はエロ小説。女性は比較的軽めな小説。それに対し別に異論、反対があるわけではないが、どうも私としては物足りない。自由闊達に世界を飛び回り、歴史の海原を泳ぎ回り、知るべきを知り、学ぶべきを学んでいきたいのだ。僭越ながらここ最近の読了した10冊を見るに、カティの森で起きた虐殺事件、エッセイ、落語、天平時代に大流行した疫病(天然痘)、ゴッホの自殺、インディアスの破壊、一遍上人伝、幕末の二本松城落城、アマテラスの暗号問題、そして近年タクシーの中で死んだ西村賢太の私小説。読書はいつ何処の世界にも、自分の意志でひとつで回遊できるところに面白味がある。私としては年を召してもやはりそのような読書傾向でいたいと思う。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。だが、それが肩の凝るような本だと言われれば、まあ、そうなのかも知れないが。おやすみなさい、また明日。
アマテラスの暗号 伊勢谷 武
あれは25年ほど前だったか、みのもんたの番組で日本人はどこから来たのか、失われたイスラエルの10支族の末裔が日本に遣って来て、秦という姓名で全国の神社、果ては天皇の先祖にも深く拘わっているのではないかという、実に興味深い番組を2時間に亘って放映していたが、本書はまるでそれを裏付けるような1冊であった。例えば日本人なら誰でも知っている「ヤーレンソーランソーランソーラン」とはヘブライ語だという説がある。意味は「たった一人でニシンの大漁の喜びを歌う」ということになる。更にヘブライ文字とカタカナには同じ字が幾つも散見できる。決定的なのは九世紀に起源をもつと言われる京都の祇園祭りで引き出される大きな山車だ。屋台を堂々と飾る化粧生地のペルシャ絨毯やバクダットの宮殿、ピラミッドを描いた化粧のタペストリー、アフガニスタンの絨毯、いったいこれらの絵は京都と何の関係がというのか。祇園祭は秦氏と深い関係のある祭りなのだ。神社は通常神紋という自社のロゴマークを持っているものだが、最も古くからある眞名井神社の神紋は六芒星、別名ダビデの星。エルサレムの語源はエル・シャロームで平安京という意味、エルサレムの北東にある湖ガリラヤ湖は琵琶湖という意味。そして京都を遷都と定め平安京を造営したのが秦氏。ここまで読んでくるとユダヤ人と日本人が全く関係ない民族とは思えなくなる。本書は噂に違わず非常に難しいもので、最初は研究書かと思っていたが実はミステリー小説なのだ。登場人物たちは全員がその道のプロ級で、古代史や神道、キリスト教、ユダヤ教に詳しい人物ばかりという設定なので門外漢の私は後半からまったく理解できなくなってしまった。まあともあれ、挫折せず投げ出さないというのが私の信念だから、読むには読んだが。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ part.6
《イブニング》 (1820)
《月光の海岸》(1835-1836年) ハンブルグ美術館
《雲海の上の旅人》(1818年) ハンブルク美術館
《霧の中のエルベ舟》(1920-1925年頃) ヴァルラフ・リヒャルツ美術館
《山の朝の霧》(1808年) ハイデックスブルク城
《墓地の入口》(1825年頃) ノイエ・マイスター絵画館
《森の十字架》(1813年) シュトゥットガルト美術館
《月を眺める 2人の男》(1819年) ノイエ・マイスター絵画館
《雪の木々》(1825年頃) ノイエ・マイスター絵画館
《アルコナ岬の月の出》(1806年) アルベルティーナ素描版画館
アナタの作品は、昭和初期から主にドイツ文学者たちによって日本に紹介され、ドイツ留学の経験のある、東山魁夷の作品に影響が見られるらしいですけど、どのへんがあるんですか。しかし、私としては特別欲しい絵はないですね。
ソフィア・ベルガラ 1972年7月10日 -
2011年
2018年
こんにちは、ソフィアさん。
アナタ、コロンビア出身なんですね、さすがにスタイル抜群ですね。
アナタほどスタイルがいいと何を着てもお似合いです。
羨ましい、全女性の憧れだと思います。
一度、アナタみたいな人とデートしてみたいな。
どうしたら願いを叶えることが出来るでしょうか。
なにしろ美人ですからね、なかなか願いは敵わないでしょうか。
「ムーンライト・セレナーデ」 「天皇機関説」
東京名誉大学教授が唱えた学説の「天皇機関説」という言葉を聞いたことがあるだろうか。二・二六事件前、この言葉が大問題になっていた。その手の本を読むたびに繰り返し出て来るこの単語を未だによく理解できない。つまり「天皇は国家統治の主権者ではなく、国家という大きな肉体の一つの機関である」とする考え方で、美濃部自身はこの考えを、「君主が国家の機関であると申せば、ちょっと聞くと何だか我々の尊王心を傷つけられるような感じがいたすようでありますが、これは国家が一つの団体であることから生ずる当然の結果であります」と説明している。当初はこの学説に対し大きな問題は起きなかったが、しかし、世論の圧力に負けた当時の岡田内閣は「天皇は統治権の主体」であるとする「国体明徴声明」を出し、美濃部らの学説を退け右翼や軍部の猛批判を受ける。両者の言い分のどこがどう違いのか解らないのである。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。このように書かれていても理解できない情けない頭でしかないのです。貴族院議員であった美濃部は議員辞職を余儀なくされた。おやすみなさい、また明日。