愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「ダメオ劇場」第一部の終わり

扨て皆様、長い間、わたくしの稚拙な解説で、絵画、音楽、映画、歴史、そして読書と、ご鑑賞頂きありがとう御座いました。 先刻よりご報告して参りました通り、明日午前10時より入院致します。 今回は大量出血を伴う手術、抗がん剤治療と長く苦しい闘いが待…

ヤクブ・シカネーダー 1855年-1924年 

《新婚旅行》(1920年)個人蔵 《犬と婦人》プラハ国立美術館 《夕暮れの室内》(1910-15年)プラハ国立美術館 《海》(1922-24年)プラハ国立美術館 《家での殺人(Murder in the House)》 《プラハの路面電車》(1910年) 《海岸》プラハ国立美術館 《モ…

ケンちゃん ギラ・ジルカ

ギラ・ジルカ「ケンちゃん」 実は私、この人好きなんですよ、現在51歳。 ジャズボーカリストのギラ・ジルカさんなんです。 「イスラエル人で貿易の仕事のため来日した父が、12歳年下の母を阪急電車で見そめ、『食事に行きませんか?』と声を掛けたのがキッカ…

ロベール・ドローネー  1885年4月12日-1941年10月25日 

《ポルトガルの女性》(1916年)ティッセン・ボルネミッサ美術館 《カラフルな交響曲》(1917年) パリ市立近代美術館 《エッフェル塔》(1926年頃)ハーシュホーン美術館 《ランナー》(1924年)トロワ近代美術館 《ジャン・メッツァンジェ》(1906年) ヒ…

トロフィーハンティング

トロフィーハンターがまた炎上─血まみれの巨大なキリンの心臓片手に「最高なバレンタイン!」 高齢のキリンを絨毯に 娯楽を目的に野生動物を狩り、角や毛皮を持ち帰る「トロフィーハンティング」はよく批判の対象となる。 「ザ・サン」や「インディペンデン…

ピエール=オーギュスト・ルノワール Part.14  

《シャルパンティエ夫人と子どもたち》(1878年) 《大水浴図》(1884年-1887年) 《オペラシアターのロッジ席》(1874年) 《ジャンヌ・サマリーの肖像》 《日傘をさす少女》(1883年) 《ブランコ》(1876年) 《舟遊びの人々の昼食》(1880-1881年) 《ベ…

オリヴィア・デ・ハヴィランド Part.2 

1935年 1942年 1935年 1942年 オリヴィアさん、前にも言いましたが、アナタは私の父と同い年なんですよ。 そのアナタが父の倍以上も生きて、先年亡くなったばかりなんて、実に驚きです。 風と共に去りぬの出演者が全員亡くなって、アナタ一人が104歳まで生き…

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ Part2 

《軍隊を指揮するバストの侯爵》(1541年頃) プラド美術館 《ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド》(1555年) プラド美術館 《ピエトロ・アレティーノ》(1548-1551年頃) フリック・コレクション 《カール5世騎馬像》(1548年) プラド美術館 《悔悛…

アニタ・エクバーグ part.3 

1956年 1950's若し、私が西洋人に生まれ、仮に女性だったとする。さらに巨乳という恵まれたナイスなバディだったらどうする。やはり惜しげもなく谷間なんざ曝け出して、堂々と街を闊歩するか。どうする?分かり切ったことです。もちろんのこと、谷間の一つや…

ウィリアム・アドルフ・ブグロー  Part.6 

《甘言》(1890年) 《レモン》(1899年) 《心地よい重荷》(1895年) 《若いころ》(1893年) 《バッカスの幼年時代》(1884年) スウェーデン国立美術館 《さくらんぼの枝》(1881年) 《瞑想》(1885年) 《野原からの帰り》(1898年) 《嵐》(1874年)…

あの日あの夜 森繫久彌

昔から友人との間で、よく森繫さんのことは口の端に上ることが多かった。 多くの友人に先立たれ、さぞ寂しい想いをしておられるだろうというのが、会話の接続に出ることがしばしばで、その森繫さんの、「あの日あの夜」、つまりは昔のことを思い出すまま書か…

メルヘン画

Ann Brain Kazuhiko Fukuoji Blue Night - Xuan Loc Xuan Phil Lockwood Gurbuz Dogan Mariusz Stawarski 1965年 いつもいつも観賞魚の熱帯魚さえも首を傾げるような難しい絵はもう沢山だ! 私はろくに美術史を習ったわけでもないし、ずぶの素人なんだからね…

《絶望》 ギュスターヴ・クールベ               

「十兵衛、十兵衛は居らぬか」 「おお上様、随分と遅いお帰りで、皆の者も心配しておりましたぞ。して、首尾は如何相なりましたでしょうや」 「そのことじゃ。まあ座れ。少し早めに行って20分ほど待たされての、まあ、腹をくくって行ったわけよ。拙者はの、…

クロード・モネ Part.20 

《庭園の女性たち》(1866-1867年) 《春のひととき》(1872年) 《並木道(サン シメオン農場への道)》(1864年) 《ヒナゲシの咲く草原》(1873年) 《カプシーヌ大通り》(1873年) ネルソン・アトキンス美術館 《フェカンの干潮のボート》 《サンタドレ…

咥えタバコの女 Part.12  

Flicka Elisa ベグム・パラ ローレン・バコール シャロン・ストーン ローラ・ダーン クリスティーナ・スミス ドリス・ダウリング 1945年 ジョーン・ヴォース (1927年7月30日-2001年6月4日) ダニエル・ダリュー 1917年5月1日 - 2017年10月17日 咥えタバコの女…

エル・グレコ Part.3 

《神殿を清めるキリスト》(1568年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー 《神殿を清めるキリスト》(1609年)サン・ヒネス教会 《ろうそくに火を点ける少年》(1571-1572年)カポディモンテ国立美術館 《トレド風景》(1596-1600年頃) 《羊飼いの礼拝》(1…

マリリン・モンロー Part.29 

1955年 1954年 1955年 1960年 1955年 1953年 マリリン、貴女って高所恐怖症じゃないんですね。 私はダメ、一枚目の写真のような場所でふざけ合うなんてとんでもない。 ふざけ合うのは昔からベッドの上だけと決めているんです。 然しですね貴女、一向に私たち…

ギュスターヴ・モロー Part.2 

《牢獄のサロメ》(1873年-1876年)国立西洋美術館 《プロメーテウス》(1868年) 《刺青のサロメ》(1871年) 《エウローペーと雄牛》(1869年) 《ジュピターとセメレ》(1895年) 《デイアネイラ(秋)》(1872-1873年)ポール・ゲティ美術館 《ヘロデ王…

ワルシャワ蜂起 1944(上・下巻)

第二次大戦は自由都市ダンツィヒのドイツへの編入要求と、ポーランド回廊を通過し、東プロイセンとドイツ本土を結ぶ治外法権の道路建設の要求を強めたドイツに対し、ポーランド政府が要求を拒否。ここに大戦の火蓋は切って落とされたわけだが、両国の死者は…

ウィリアム・アドルフ・ブグロー Part.5  

《野原のジュエリー》(1884年) 《少女の肖像》(1865年) 《エヴァ・ジョンストンとフランセスの肖像》(1869年) 《ジャンヌ》(1888年) 《天使が奏でる音楽》(1881年) 《ミモザ》(1899年) 《天職》(1896年) 《いたずら》(1895年) 《編み物をす…

硫黄島の戦い

76年前の昨日、1945年2月17日米軍の侵攻前爆撃を受ける硫黄島。 第二次大戦の三大決戦といえば、エル・アラメインの戦い、スターリングラード攻防戦、硫黄島の戦いで、私も尊敬する栗林中将が小笠原方面陸海軍最高指揮官として本当にあの猛爆の中をよく耐え…

ジョン・エヴァレット・ミレイ Part.5 

《あひるの子》(1889年) 国立西洋美術館 《ポーシャ》(1886年) メトロポリタン美術館 《アフタヌーン・ティー)(1889年) 《吹け,吹け,冬の風》(1892年) オークランド美術館 《1746年の放免令》(1852-1853年) テートギャラリー 《くつろぎのひと…

オードリー・ヘップバーン Part.2 

1960年 1960年 1954年 1954年 1966年 1961年 1958年 1966年 オードリー、貴女はとうとう私と逢わずに逝ってしまわれたのですね。 貴女のことを惜しむ声は未だにききますよ。 せめて、私とのツーショット写真が欲しかったと論評もしきりです。 語学に堪能だっ…

ピーテル・ブリューゲル Part.2 父 

《東方三賢王の礼拝》(1556年頃) 《干し草の収穫》(1565年) 《聖マルティヌスの日の葡萄酒》(1565-1568年頃) プラド美術館 《穀物の収穫》(1565年) メトロポリタン美術館 《農民の踊り)》(1568年) 《農家の結婚》(1568年) 《ネーデルラントのこ…

ポル・ウナ・カベサ 

Nicola Benedetti: Por Una Cabeza, from Scent of a Woman, Live in The Greene Space 喉が痛いのでなかなか寝付かれなかった昨夜はこんな曲を聴いていました。 タンゴの名曲、『ポル・ウナ・カベサ』です。 ポル・ウナ・カベサとは「首ひとつの差で」を意…

ポール・セザンヌ Part.12 

《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》(1885-1886年) 国立西洋美術館 《休息する水浴者(男性水浴)》(1876-1877年) バーンズ・コレクション 《スキピオという名の黒人》(1865年) サンパウロ美術館 《3つの梨》(1888-1890年頃) プリンストン大…

ジェーン・マンスフィールド Part.4 

1957年 1957年 1955年 おお、マンスフィールドさん、大変なんですよ。 私の体に病魔が巣くっているのかも知れないと先生が言うんです。 喉からですがコロナじゃないですよ。 その私の苦境を救うのは貴女しかいません。 先生が言うには、この病魔をやっつける…

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー Part.4 

《ゴッタルド峠》(1804年) 《メリック修道院、スウェイル渓谷》(1816-1817年頃)栃木県立美術館 《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《レイビー城、ダーリントン伯爵の邸宅》(1817年) 《 古代のローマ…

バレンタインと翌日決戦

約二か月ほど前のことか、行きつけの喫茶店で以前から気になっていた、おばあさんに声を掛けた。 そのおばあさん、他の五月蠅く煩わしいおばさんと違っていつも一人で来てはトーストを食べ、あとは黙々と本を読んでいる。 少し気難しそうな顔で、おそらくは…

ジョージ・フレデリック・ワッツ Part.2 

《ルフェウスとエウリュディケ》 《オフィーリア》(1880年) 《死の裁判》(1870年) 《ファタ・モルガナ》 《アルスター》(1874年) マンチェスター市立美術館 《パオロとフランチェスカ》(1872年-1875年)ワッツ・ギャラリー 《十字架の下のマグダラの…