愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 勝ち組も負け組も平等に取り上げられねばならぬ

作家の松岡英夫氏は「勝ち組だけが歴史を作ったのではない、歴史の担当者あるいは歴史の構成者としては、勝ち組も負け組も平等に取り上げられねばならぬ」といっている。例えば幕末の井伊直弼も負け組に数えられる。幕末維新の勝ち組の人物列伝は多い。これに対して注目したいのは、ほかならに裏の人物だ。現秩序を破壊から守るために、権力を濫用して相手を死に追い込む悪党に、水野忠邦の側近にあって蛮社の獄を強行した鳥居耀蔵。井伊大老の腹心として安政の大獄を強行した長野主膳。主膳は刑に臨んで次の歌を詠んだ飛鳥川きのふの淵はけふの瀬と かわるならひを我身にそ見る。明治になって門人が彦根城の東南にある天寧寺に主膳の碑が立てられた。そこには名はなく、歌のみが記されている。君かこの今日の出てまし待得てそ 萩の錦もはえまさりける。この歌はかつてこの寺に直弼と共に詣でた折、直弼が池に映る萩の盛んな様を見て詠んだ歌、影うつる池の錦のその上に なほ咲かかる糸萩の花、に答えたものである。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。人の世は、むなしく儚いものですね。おやすみなさい、また明日。