愛に恋

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呉淞クリーク/野戦病院 日比野士朗

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クリークとはよく分からないのだが、調べてみると以下のような意味らしい。
 
小川の意。入り込みの深い入り江、小さい運河、川と川などをつなぐ水路。
 
「呉淞」はウースンと読むが、更に検索すると、呉淞クリーク昭和7年白川橋付近という写真があるので、正にこの辺りのことだろう。
 

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つまりは、昭和12年8月13日に起こった第二次上海事変呉淞クリーク渡河作戦のことで、日本軍は大苦戦の末、上陸から11月8日までに戦死9115名、負傷31257名と多大な犠牲を払って大場鎮を落とし南京追撃戦となる。

我が父は盧溝橋事件の翌月、正にこの8月、特務機関に現地徴用されているが、この戦闘には加わっていないと思う。


併し、本書に見る銃撃戦の激しさ、昼夜分かたず襲い来る迫撃砲と空襲、更に雨、泥濘、そんな中にあっても疲労と睡眠には勝てず寝入ってしまうというから、如何に苛酷な現状の中、睡眠不足で戦っているかよく分かる。
過労の域を通り過ぎ、空腹に耐え、見る間に戦友の体が吹っ飛び、泣き叫ぶ仲間、著者はこの戦いに伍長として参戦し、見事に戦争の悲惨さを描いて余すところがない。


野戦病院」とあるのは、本人、銃弾に斃れ後方へ回された経験を書いている故で、多くの戦友を失いなが、その経験を忘れぬうちに本書出版となったのか、初版は昭和14年となっている。
因みに白川橋とは上海派遣軍司令官で上海天長節爆弾事件において尹奉吉の投げた爆弾により重傷を負い、翌月に死去した白川義則に由来している。

 

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