愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 昭和7年天長節

昭和7年、日本と中華民国の両軍が上海国際共同租界周辺において、軍事衝突する第一次上海事変が発生したが、停戦交渉も纏まりかけ、日本居留民団も喜んでいた頃。4月29日の天長節、上海の虹口公園で軍事司令官たる白川義則大将はじめ、植田第九師団長、嶋田繁太郎少将、重光葵駐華公使 、野村吉三郎海軍中将、各国公使、総領事が居並ぶ中、上海派遣軍司令官白川義則大将が式辞を読んでいる最中に朝鮮人が爆弾を投げ、白川大将は5月26日に死亡、その他多くの重軽傷者が出た。公園には中等学校、小学校など多くの生徒が見守る中での惨劇だったが、当時、15歳だった父は家族一同で上海に住んでおり、家が公園からも近かった関係で式典に参加していた。この事件は大々的に報じられたこともあり、家中も大騒ぎだったことだろう。何しろ軍司令官が死亡というのはのっぴきならないこと故。大将は勲一等旭日桐花大綬章並びに功二級金鵄勲章に叙され、男爵を追贈された。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。なんだ、森永さんに続いて百田尚樹氏も癌だというではないか。頼むぞみんな、まだまだ生きてくれよ。おやすみなさい、また明日。