愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

聞き書き ある憲兵の記録 朝日新聞山形支局

甲種合格をした山形の優秀な農村青年土屋は、一兵卒として満州に送られる。國を出る時は「出世して帰って来いよ」との声に背を押され、何が何でもその声援に応えたいという気持ちを胸に、同僚にライバル心を燃やし職務に励むが、遅い出世に焦り憲兵隊を志願する。「監軍護法」の一人前の憲兵になるには三カ月の厳しい試験に合格しなければならない。試験に受かり憲兵隊で上官が行う、匪賊や共産軍の兵士などに行う激しい拷問を目の当たりに、以前は虫も殺せる一青年の変貌を描いている。いつしか、その目を覆う残虐な拷問に手を染めていく。「日本鬼子(日本の鬼め)!」と叫んだ中国の人びとの声が耳を離れなくなる。読むに辛い話だが、私の場合はなおさらだ。父は昭和12年、盧溝橋事件が起きた翌月に軍から徴用され、特務機関員とした上海を中心に活動したが、特務機関は憲兵隊より上位に立つので、その活動は激しいものだったらしい。父はとにかく戦争の話が大好きで、子供の私を捕まえては夜な夜な自身が重症を負った時のことや、斬首されても首が半分繋がって翌日も生きていたなど、事細かに話して私の記憶の奥に刻みこんでいた。同僚が殺害されたこと、トラックで移動中に待ち伏せされたこと、市街戦で撃ち合ったこと、本書を読んで気持ちが萎えたのは、土屋が血を見なくてすむ拷問として、鼻から水を流し込むという手段を覚えたことだが、はっきり言えば我が父も同じ方法で敵兵に拷問していた。父、本人が言っていたことだから間違いない。戦後逮捕された土屋は尋問に素直に答え、自らが直接間接に殺した中国人は328人、逮捕し拷問にかけ、獄につないだのは実に1917人、14年の間、軍で活動し確かに昇進はしたが、改めて土屋の胸を襲ったのは、人間を捨てた鬼の顔だ。併し土屋は昭和31年起訴猶予として釈放された。嘘のような判決に、生きて帰れる喜びと自分が犯した罪の深さを顧みる戦後であった。