《空き地の裸婦》(1928年)ピナコテーク・デア・モデルネ
《月夜のミュージシャン》(1924年) シュテーデル美術館
《射手》(1935-1937年)キルヒナー美術館
《赤い衝立の前で膝をつく裸婦》(1911年)
《高い襟のドリス》(1906年)ティッセン・ボルネミッサ美術館
《洗面器と 2人の女性》(1913年) シュテーデル美術館
《通りの 2人の女性》(1914年)
《日本の傘と少女》(1909年)ノルドライン・ヴェストファーレン美術館
《入り江》(1914年) ティッセン・ボルネミッサ美術館
《座る少女》(1910年) ミネアポリス美術館
第一次世界大戦勃発後、エルンストは兵役に就く。1915年にザクセン州ハレの砲兵隊に配属されたが、神経衰弱が酷かったことから同年11月に除隊になり、フランクフルト近郊のサナトリウムで療養生活を送った(戦争に対する衝撃は、右手を切断した姿で描かれた「兵士としての自画像」に端的に表れている)。1917年にはスイス・ダボスに移って山並を題材とした作画活動を続けるが、1930年代半ばからは心身の衰弱がさらに激しくなり、肺結核も患った。
1933年に政権掌握したナチス・ドイツにより自分の作品が「退廃芸術」とされ、「退廃芸術展」に作品が32点も出展されるなどしたことにもショックを受け、1938年にダボス・フラウエンキルヒの自宅でピストル自殺を遂げた。
ウィキから引用させてもらおましたが、確かにナチの基準では「退廃芸術」に当たるというのも分かります。
また、神経衰弱が酷かったから、それが作品にも影響しているんですね。
故に自殺したのですか。
本当に辛かったんでしょうね、ご冥福をお祈りいたします。