う~ん、実に重いテーマの感想文を書くということは一介のブロガーとしては気が重く疲れる。
「歴史は繰り返さない。ただ、韻を踏むだけである」
という言葉があるそうだが私には解ったような解らないような。
まず単純に思うことはアメリカが行った大都市における無差別爆撃。
無辜の民を焼き殺す焼夷弾投下は大虐殺とは言わないのだろうか。
米軍の戦法はこうだ。
街の四方ををまず爆撃し、巨大な焔の壁を作り、民衆の逃げ道を塞いで確実に焼き殺す。
3月10日の東京大空襲では一夜にして10万もの命が失われている。
広島、長崎を除いて古来、これほどの惨劇があったであろうか。
指揮官カーチス・ルメイはこんなことを言っている。
「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い私は勝者の方に属していた」
つまり勝てば官軍で何をしても不問に付されるわけだ。
ただ、松井大将は大の親中派だということはどの本を読んでも書かれている。
大将が書き残したものには「亜細亜復興」という言葉が多く出てくるらしい。
当初、近衛内閣は不拡大方針を発表していたが何ゆえ全面戦争になったか。
誰がそれを望んでいたのか。
参謀本部でも意見が割れ石原参謀などは不拡大方針を唱えていた。
この時期、頻りに言われていた言葉に膺懲という単語がある。
「膺懲」とは「ようちょう」と読み、懲らしめるという意味だが日本側は事あるごとにこれを使った。
その上、上海上陸戦では約1万もの戦死者を出し日本軍は弔い合戦のような色合いも次第に強くなっていき、結果、上海を突破した日本軍は南京に迫る。
「不法行為等絶対ニ無カラシムルヲ要ス」
「名誉ヲ毀損スルガ如キ行為ノ絶無ヲ期スルヲ要ス」
「略奪行為ヲナシ又不注意ト雖、火ヲ失スルモノは厳罰ニ処ス」
大将は戦時国際法を意識しながら攻略戦の臨んだ。
しかし事態を混乱させたのは中国軍の督戦隊という組織。
要約すれば敵前逃亡を防ぐため部隊内で同士討ちなってしまった。
結論から言えば確かに婦女に対する凌辱や非武装員の殺害、暴行はあったと思う。
行為を是認するわけでは勿論ないが古来、首都陥落に於いて、このような行為は必ず起こりえると思う。
実際、ベルリン陥落や満州国崩壊の時も同一の事が起きている。
問題は軍紀の乱れは誰の責任になるのか。
軍司令官は繰り返し軍紀の粛清を厳しく訓示している。
それに厳密に言えば南京陥落の12月13日、松井軍司令官は南京に不在だった。
高熱、悪寒が続き遠く離れた蘇州で療養していたのだ。
私はかなり微妙なことを書いているのだろうか。
大虐殺はあったのか無かったのか。
今日、言われている30万という数。
一説によると当時、南京城内にいた市民は約20万と言う人もいるが。
ただ、混乱を極めた13日の南京城内では何が起きても不自然ではない情況が生まれていた。
問題は通説になっているその数だ!
結局、松井大将は最高司令官であったがために刑場の露と消えたが、あれほど口喧しく言ってきた軍紀粛清の咎で処刑されようとは、本人、如何様に思っていたであろうか。
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