愛に恋

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ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間 中野京子

 
フランス革命勃発というのは1789年7月14日、バスティーユ監獄の襲撃を持って起こり、その後、ルイ16世マリー・アントワネットは断頭台の露と直ぐに消えたわけではないんですね。
幕末維新には詳しい私ですがフランス革命からナポレオンの登場という混乱期に関しては殆ど無知。
 
この本のサブタイトルにある『運命の24時間』というのは1791年6月20日から21日までのことで、国王はこの日、僅かな共の者と宝石、金貨、衣装などを詰めた馬車でパリを脱出、一路、モンメディという所を目指し、そこで王党派の国民へ向かって呼びかけ、新たな憲法発布と共に巻き返しを企図。
 
それに対しアントワネットの戦略は一端、母国のオーストリアへ亡命しオーストリア軍の力を借りてパリを逆占領しようという企て。
しかし国王は外国軍に国民を攻撃させることに反対。
あくまでも王党派を信じ、事の成り行きを楽観視していたようだ。
 
結果的には6月20日23時、モンメディ手前のヴァレンヌで地元の民衆に行く手を阻まれ翌日、パリからの指令で全員逮捕。
部下が作成し綿密を極めた逃避行案であったが。
それをみすみす失敗に追い込んだのは国王の優柔不断さ。
一刻も早くという部下に対しああでもない、こうでもないと遅延を要求する国王。
 
街道筋には宿駅ごとに竜騎兵を配置していたにも関わらず5時間の遅刻が命取りに。
それはひとえに信じがたいルイの独断専行。
実戦経験のない国王は油断をそれほど気にかけていなかったようで途中で身分を明かし少しも急ぐ様子がない、まずありえない行動が目立った。
 
ところで当時のフランス財政だが国庫収入の9倍の赤字を抱えながら、馬車の所有数217台、馬1500頭、趣味の狩猟用猟犬1万頭を国王は手放そうとはしなかった。
また、ヴェルサイユで使う蝋燭代だけでも膨大な出費。
しかし作者はこのように書く。
 
「技巧を凝らして美を創造・表現しようとする人間活動は、生きるための労働に追われれば難しく、極限の貧困の中では息の根を止められてしまう。貧富の差が縮まった現代社会からは想像しにくいが、身分社会にあっては、暇と金がふんだんにあり、尚且つその上に優れたセンスのある者しか美を牽引することはできなかった」
 
つまり「美」は庶民のものではなく、王侯貴族の占有だったと。
生きるために四苦八苦していては優れた芸術は生まれにくく貧富の差があったればこそ絢爛豪華な建造物も造れたというわけか。
なるほどね・・・!
 
ところで佐藤賢一氏の『小説 フランス革命』という作品が最近文庫で完結したが読んでみたいものの実に18巻という長編。
悩ましい限りだ。
 

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