愛に恋

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ミレーの名画はなぜこんなに面白いのか 井出 洋一郎

絵画史上、印象派の一世代前に隆盛を極めたバルビゾン派の拠点、バルビゾン村はパリから南へ約60㌔の地点にあるらしい。
発端は、この地方に一軒しかなかった食糧品屋が1824年に「ガンヌの宿」なるものを開業し、ここを根城に多くの画家が参集したことに始まる。
ミレーが家族を連れてバルビゾンに移り住んだのは1849年6月。
以後、終の棲家としてここを離れることはなかった。
 
ミレーというと貧しい農民画を描いた人というイメージがあるが残された約400点の作品の内訳は肖像画120点、農民画100点弱とあるから少し意外な感じだ。
彼の特徴は同じテーマを描くのに効果を変えて2通り描き、どちらを選ぶかという慎重な性格だったらしい。
 
ミレーがバルビゾンに現れた頃、フランスでは革命が勃発、王政が打倒され第2共和政に移行、同時に貴族的なロココ調は完全に終焉を迎えミレーの得意とする力強いタッチの農民画が誕生するが、彼の優れている点は、いつ終わるとも知れない単調な農作業を真面目に描き切っているところか。
 
その貧しさ故の美が観る者の共感を得るのか、ひたすら汗する農民たちの普遍性に力点を置いている。
著者はミレーの風景画に付いてこのように言っている。
故郷を捨てて都会で成功した実業家が、思わず惹かれてしまうような、何か後ろめたいノスタルジーを感じさせるのです。
そこには幾度も故郷に帰ってはデッサンを繰り返したミレーの郷愁が色濃く表現されているのかも知れない。

この有名な「落穂拾い」、古来、西洋の刈り入れ作業では貧しい農民への福祉として、収穫物の1割を畑に残すというのが暗黙の了解だったようだ。
ロシアの「移動派」の労働画にも圧倒されるが、ミレーのそれは表情こそ描いてないが、腰痛を心配したくなるような農民のいじらしさが伝わってくる。
それが本のタイトル「ミレーの名画はなぜこんなに面白いのか」ということになるのか、まあ、そんな浅い見かたではないだろうが。