
幸田露伴の次女、幸田文です。優れた文筆家で高峰秀子に「こういう優れた女性と同時代に生まれ、間接的にでもその生きかたに触れることができた私は、やはりしあわせな人間だといえるだろう」と言わしめた女性です。明治37年から平成2年まで生きたというから長生きでしたね。


1934年5月30日、東郷平八郎が亡くなりました。東郷死去に際し「トウゴウゲンスイデモシヌノ?」という文面が小学生の見舞状が新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。死後に東郷神社が建立され神として祀られますが、生前乃木神社に対抗して、自身の神社の計画があることに強く反対していました。幕末から昭和まで多くのことを見聞した偉人でした。ただこの人、大艦巨砲主義だったとは思いますが。

1843年6月1日、西郷従道が生まれました。 西郷隆盛の弟で、元老、海軍大臣などを歴任しました。 西郷は馬主としても知られています。 横浜の日本レース・倶楽部で日本人として初めて参加が認められた日本人最初の馬主でした。 1875年には愛馬ミカンに騎乗して日本人馬主による初勝利をあげています。なんと、私と同じ
誕生日です。

今日のこの人は、犬養毅です。1855年6月4日に生まれました。 犬養は慶應義塾在学中に新聞記者として西南戦争に従軍し記事を執筆しています。その後は大隈重信の立憲改進党に入党、大同団結運動などで活躍した後に衆議院議員に当選し、以後42年間、18回連続当選という尾崎行雄に次ぐ記録を打ち立てることになります。最後は知ってのとおりですね。

新撰組で沖田総司、永倉新八に次ぐ腕前と称された斎藤一は、庄内へ転戦する土方歳三 と決別し会津藩に残留,斗南移封まで松平容保に随い、その仲人で重臣の娘と結婚。容保赦免に伴い東京へ移って警察官となり西南戦争に従軍、会津人と共に抜刀隊で恨みを晴らしました。

分かりますか、与謝野晶子です。ちょっと太ったかな。


今日の「この人」は児玉源太郎です。日露戦争では満州軍総参謀長として陸軍の戦闘を指揮しました。児玉は奉天会戦で日本軍が勝利した後に東京に戻り、戦争の早期終結を図る活動を行います。一方で、ロシアを講和会議のテーブルにつかせるための大規模攻勢作戦も同時に了承させていた。木霊は戦争終結後、脳溢血で 1906年7月23日に亡くなりました。戦略、戦術ともに長けた将軍でした。

今日のこの人は、後藤象二郎(1838年4月13日-1897年8月4日)です。幕末、土佐藩士として藩内の意見をまとめ上げ、倒幕路線を歩む薩摩との思惑のずれから盟約は解消、提携解消後も大政奉還への努力を続け、10月3日に山内容堂とともに連署して大政奉還建白書を提出。10月14日に慶喜がこれを受けて大政奉還を行った。明治20年5月、伯爵を授けられる。
