愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 等持院

戦前、京都の等持院の近くに映画監督の伊丹万作が住んでいた。伊丹十三の父親だが、その後、関東大震災を逃れて谷崎潤一郎等持院に移り住んだ。さらに十四歳から十九歳までの間、若き修行僧として水上勉が籍を置いていた。阪妻が落ちぶれた姿で大八車を押して来たのは、偶然が導いたにせよ、そういう稀有な場所だった。人間は、あの時にもし・・・という岐路での選択をする。間々に、後になって信じ難い選び方であったりする。その、先に待つものが悲況であるか、安堵であるのかは、その人間の宿命次第なのであろう。阪妻はその意味では実に強運の人だった。車を曳いて入った門がマキノ省三に導く入り口でなかったら、今日の映画史上最大のスターといわれる阪妻が存在したかどうか分からない。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。今から七八年前になるだろうか、それらの伝承に惹かれて私も等持院を訪れた。併し、境内にマキノ省三銅像こそあったものの、昔、ここで映画が撮影されていたというよすがは何もなかった。おそらく、今日ではそれらのことを知る人もいないだろう。昔の現実はすでに朧となって去った。おやすみなさい、また明日。