何年か前に京都にある臨済宗天龍寺派別格地の等持院に行ったことがある。
ここは足利尊氏の墓所として有名だが、私の目的は大正10年、マキノ省三が等持院塔頭跡地に牧野教育映画製作所と映画撮影所を設けた跡地を見ることにあり、全盛期の阪東妻三郎も通ったであろう、等持院とはどういうところか訪ねたかった。
然し、昔を忍ぶよすがは何もなく、ただ空しく時の流れを感じるだけだった。
正門を入るとマキノ省三の像があるが、他に室町歴代将軍の木像があり、幕末、尊氏・義詮・義満三代の木像の首が鴨川の河原にさらされる事件が有名だが、下手人はここまで往復したかと思うと驚く距離だ。
話がそれれたが、作家水上勉はここで、17歳まで小坊主として寄宿していたことがある。
子供の頃に貧しい家庭から口減らしのために寺小僧として修業にだされたためだが、作家になり『金閣炎上』を書くまでに15年の取材を要したとある。
越前出身の林養賢と若狭出身の水上勉。
僧侶の修業がどれほど辛いか知っている水上は、金閣寺を燃やした林養賢に対し、共に貧しい家の出ということもあり親近感があったようだ。
対する三島の『金閣寺』はノンフィクションのような『金閣炎上』とは違い林養賢をモデルにしたフィクションで、市川雷蔵を主人公に映画化もされて有名だが、放火の原因の一つが「美に対する嫉妬」だったという。
林養賢は吃音、当時でいう「どもり」で貧しく、みすぼらいくどもりな自分とは対照的に金閣という物に対すれ否応のない嫉妬の末、放火したのかどうか私には分からないが、水上はそのあたりを書いていない。
著者は裏日本を体現する水上の湿り気と、表日本しか見なかった三島の乾き方を対比して見せたかったようだが、本書は人知れずしてなかなかの名著だ。