今の時代、鞍馬天狗なり嵐寛寿郎の名前をあまり大きな声で言えない。
いつの時代の話と言われてしまう。
併し、斯く云う私とて鞍馬天狗を映画で見たことがない。
当然だ。
だが、どういう訳か、杉作少年の何代目かに美空ひばりが起用されとのを知っている。
そればかりか、少年時代に男の子にとってはチャンバラ遊びをする時は、鞍馬天狗と丹下左膳は無くてはならない出し物だった。
戦前の話とて、一応、チャンバラ映画の七剣聖ぐらいは知っている。
阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大河内伝次郎、月形龍之介、長谷川一夫、嵐寛寿郎となる。
私は大映、東映のファンなので全ての人の映画は観ているが、それはみなテレビなりビデオでの話。
一読するに戦前、戦後の映画会社の栄枯盛衰と、俳優、監督、スタッフの離合集散はとても覚えきれない。
先ず、冒頭出て来るのが嵐寛寿郎と森光子は従兄妹だという話。
これは何かで読んで知っていたが、本書を読むまで失念していた。
次に先輩の中には千人斬りもいるが、自分は300人斬りで殆どが遊女だが、やたら登場するフレーズが「オメコ」。
昔の大スターは稼ぎもまた桁外れで、嵐寛寿郎の場合は全て散財してしまった。
女を作れば家を建てる、そして別れるとなったら住居は全て女に呉れてやる。
数年前、「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三ゆかりの等持院を訪ねたことがあるが、当時を偲ぶマキノ省三設立による等持院スタジオの面影は何はなく、昔日に消えていった俤を追うのも虚しいばかりで、今はもう、その映画史を知る人もいない。
マキノ・プロダクションが育てた人材は、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、高木新平、月形龍之介、市川右太衛門といったスター俳優や、監督の衣笠貞之助、二川文太郎、井上金太郎、内田吐夢、そして脚本家の寿々喜多呂九平、山上伊太郎という錚々たるメンバーだった。
ところで戦後GHQによって接収された、京都で一、二を争うアラカンの邸宅は現在どうなったのだろうか。
本書によると、下鴨の泉田町、賀茂川のへりとあるが、こんなものを探すには連れがない方がいい。
誰も興味がないだろうから。
映画ファンの中にもクラシック映画に興味がある人が居るやと思うが、戦前、戦中の作品がどうなったか知っている人は少なかろう。
戦争映画と時代劇は進駐軍の命令で、約220本の作品が焼却されてしまった。
戦争に負けるということはこういうことなのだ。
アラカンのように明治生まれの俳優話を聞くのは、面白可笑しいが、どこか哀切もあって身に沁みる。
日本映画黄金時代を語る人は、みな冥界に入り、精魂込めて活劇に命を懸け、それに応えた庶民の情熱も今やいずこ。