愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

共同研究 パル判決書 (上) 東京裁判研究会

夙に有名な本書のことはかなり以前から知ってはいたが、手に取るに、あまりにも重厚長大で私には読めないものと諦めていた。また、『東京裁判研究会』側も「これを読みこなすのは専門家にとってすら大変なことである」と断っている。併し、私の住む沿線に去年、古書店が出来たのをきっかけに通ううち、文庫本5冊で800円というものにお世話になっていたが、ある日、『パル判決書(上・下)』もその中に入ると聞いてビックリ。2冊で計算すると350円ぐらいではないか。調べてみるに、ネットでは2冊2500円はする、これは買うしかないと、読めるかどうかは清水の舞台だ。併し、いざ、ページを開いてみるに「日本国民必読」とあったが、おそらく国民の1%も読んでないだろう。因みに以前公開された『極東国際軍事裁判』のビデオを買ってあるので、何度も見返し、さらに関連本や旧帝国陸海軍、政治家の本などかなり読んでいるので、戦争の推移や概略は頭に入っている。先ず裁判冒頭、日本側弁護団副団長だった清瀬弁護人が、この裁判の目的は正義の実現ではなく、復讐の満足と勝利者の権力の誇示であり、法そのものが事後法であると表明し、裁判自体の違法性を説くが当然却下。パル判事はソ連の地位について疑問を挟んでいる。日本と中立条約を結び、1946年まで有効だったはずなのに一方的に満州に侵略し、判事団の席に座り検事を送り込んでいる。パル判事が全編を通して言いたいことは、検察側が主張している「共同謀議なるものはなかった」ということだ。ビデオを見るに、当法廷で初めて顔を合わす被告もいたということだから、パル判事が言うことが正しい。先に断っておくが、本書はパル判事の法理論をこれでもかというぐらい何百ページも読ませられる。素人などは弾き飛ばされるぐらいの専門書なのだ。始まりはこんな具合だ。侵略戦争国際法上の犯罪であること、これにおよび対して個人が刑事責任を負うことという一連の法理が、東京裁判の条例が出来る前に、既に現実の国際法であったという論に対して、まだ国際法になっていない、したがって、裁判所条例でそう規定したのは事後法だ」という論が対立した。また、国際正義の観念に合致してない。戦勝国も戦争法規に違反した自国の国民にたいする裁判権を独立公平に国際裁判所に進んで引き渡す用意があって然るべきである。アメリカのブレークニー弁護人は「原爆を投下した者がいる、その人たちが裁いているのだ」と衝撃的な発言をしている。つまりは「罪刑法定主義「いかなる行為が犯罪となり,それに対していかなる刑罰が科せられるかについて,あらかじめ議会が民主的に定める成文の法律をもって規定しておかなければならない」という近代憲法の原則をいう「法律なくして刑罰なし」の観点に立ってパル判事は論じている。以上、上巻より。