澁澤龍彦という作家は博覧強記だろう。
哲学、思想、歴史はもとより関連書物を原書で読むなど、その幅広い知識には着いていけない。
サドとはサディズムの語源になった名前だが、一体にサド侯爵は何をしたのか。
性的プレーの名前として後世に残るぐらいだからよっぽどのことをしたのだろう。
例えば舞踊界を主催して、食後にチョコレートを配り、誰もが色情的な淫乱な気持ちになるカンタリスというものを混ぜ、慎み深い女性までもが、子宮の疼きに耐えられなかったとあるから、よっぽど効き目の強いものなのだろうが、それらの行為が祟り、何度も逮捕監禁となった生涯を送ったようだ。
通算、十指に余る牢獄から牢獄を経めぐり、通算30年近い幽閉生活を送ることを余儀なくされた。
併し、著者は言っているが、昔の高級貴族の間では、このようば乱痴気パーティは何もサドだけと決まった話ではなく、当時は普通に行われていたと。
問題なのは鶏姦と言われるプレーで、ここに書くのは少し憚れるが、だいたい想像すれば分かると思う。
サドの場合、考えられるだけのことは全部したのではないだろうか。
それに伴って、プレーに参加した女性から、何をされたかにをされたと訴えられ、風俗壊乱罪で投獄になってしまった。
と、私は簡単に書いているが、著者のサドを見る目は究極な洞察力で、単にSMちっくなサドではなく、男性的な機能が低下した74歳のサドが、16歳の小娘に恋心を抱くなど、熾火のように燻るサドの性欲が、理性を突破した理性が狂気と見なされるあたりの観察など鋭い。
女の体を鞭打つことによって、自己の孤独を確認していたのか、悲劇というものが男性の領分に属するものであることを知っていたサドということだろうか。