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不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか 鴻上尚史


所謂、神風というのは海軍の第一回特攻隊『神風特別攻撃隊』から始まるのだが正式には「かみかぜ」ではなく「しんぷう」と読む。
対する陸軍の第一回特攻隊は万朶隊(ばんたたい)で海軍のゼロ戦と違い九九式双発軽爆撃機に800㌔の爆弾をくくりつけて体当たりする戦法。
その万朶隊に所属した21歳の若者、佐々木友次(ともじ)なるパイロットが本作の主役で上官の命令に抗い9回出撃して9回帰ってきた軍神ということになるのだが、軍にあってそんなことが出来るものなのかと訝しんだが出来てしまったからしょうがない。
 
著者は札幌の病院に入院中の92歳になる佐々木さんに直接取材し本書を編み上げたが特攻の裏面史とでも言うか実に重い内容だった。
特攻推進派は戦局打開のために一機一艦は止むおえないという発想だが、果たして可能な作戦なのか艦船を爆撃で沈める困難さを軍上層部は知っていたのか本書は問うている。
 
想像を超える対空砲火で防御火器はなく卑怯未練を防ぐため爆弾を機体に縛り付け体当たりする戦法。
しかし佐々木らは爆弾だけを落とせるように密かに改良、投弾後、如何にして離脱するかを仲間で議論する。
 
投弾して直ぐに飛行機を引き上げたら後ろからモロに撃たれる。だから投弾したら、そのまま上昇しないで艦船の舷側に滑り込めばいい。舷側は死角になっているから絶対に安全だ。そかから海面すれすれに離脱するんだ。
 
しかし、艦船は空襲を受けるとジグザグの回避行動に入る。
突入角度は40度、時速500キロ以上、約3000メートルで進行して500メートルまで急降下する、飛行機はジグザグ行動の先を予想して突っ込む難しさ。
つまり新幹線の倍の速度で突っ込む訳だ。
間違ったら海面に体当たり。
 
対するアメリカ側の戦法は空母に載せる急降下爆撃機の数を半減させ、艦上戦闘機の数を2倍にし、特攻機の目標である空母の前方60カイリ(110キロ)にレーダー駆逐艦を配備。
近付く特攻機をレーダーで捕捉、それを戦闘機で迎え撃つという作戦。
さらに近接信管という砲弾が目標物に命中しなくとも一定の近傍範囲内に達すれば起爆させる決定打を作り殆どの特攻機は接近することなく撃ち落される。
 
ところで軍内部には特攻に反対の意見もあった。
整備不良、旧式の飛行機、未熟なパイロット、どれを取っても成果を期待できるものはなく徒に犠牲者を増やすだけだと。
正論だが、これがなかなか通らない。
特攻作戦はレイテ決戦から行われるがレイテ島に送り込まれた日本軍将兵の死亡率は96%。
 
終戦までの海軍特攻戦死者は2525名、うち予科練出身者1727名、兵学校出身者110名、大学出の海軍飛行予備学生出身は686名。
つまり海軍は職業軍人より敢えて予科練や大学出身者を多く死地に追いやったことになる。
因みに陸軍の場合は特攻戦死者1388名。
南洋の、または沖縄の海に散華した隊員たちには心より哀悼の誠を捧げる。
しかしはっきり言いたい。
隊員たちは決して全員が自発的に特攻を決意したわけではないと。
佐々木さんはベテランパイロットで「とにかく艦に爆弾を落とせばいいのでしょ!」と言っているし他の隊員は「当てたら帰って来ていいですかと上官に訊いているが」いずれも返答は「ダメだ!」
つまり死んで来なけれな意味がないという。
命令した側とされた側。
 
上官たちは最後の時は自分も後に続くと言ったのではなかったか。
確かに終戦となって敵を失った限り死んでも仕方ないという論理も分らぬではない。
しかし、「臆病者」「よくのめのめと帰ってきたな」「なぜ死なんのだ」と口汚く罵詈雑言を浴びせたくせに生き延び、部下に対し何と申し開きをするのか。
責任を取って腹をかき切った大西中将は赦せるとしても率先して部下を死地に追いやった参謀や上級将校はなぜ腹を切らない。
これでは犬死ではないか。
「海軍のバカ」と叫んだ隊員もいた。
 
大本営作戦課作戦室高級参謀も現地軍参謀も机上の空論ばかり。
指名された隊員たちはおそらく狂い死にしたような気持ちで突っ込んで行ったのではなかろうか。
外道の作戦の犠牲になった隊員たち、私にはとても出来ない。
 
体当たり攻撃は生還する可能性がない。
いかに戦争であっても、生還の見込みがゼロの作戦を組織として採用すべきでではない。
つまり日本人が好きな精神力が戦では重要になっている。
勿論、それを全部否定するつもりはない。
 
断じて行えば鬼神も之を避く!
 
しかし断じて行っても鬼神は裂かなかった。
外国なら叛旗を翻すほどの無謀な命令。
涙を飲んで出撃した人は本当に偉かった。
しかし何か許せない。
時には怒鳴りつけて隊員を送り出した中島正と猪口力平は戦後長らく生き延びたが、日本人として責任を取らなくてもいいのか。
 
明治の頃のように大政治家がいなかったのが惜しまれる。
絶対国防圏のサイパンが陥落した時点でもっと積極的に終戦工作をすべきだった。
この時こそ断じて行えば鬼神も之を避くの精神でやって貰いたかった。
勿論、簡単なことではない。
しかし、それが成功していれば特攻、大規模空襲、原爆、ソ連参戦はなかった。
ともあれ、多くの特攻隊員は佐々木さんのように決断出来ず雲煙万里の彼方に散っていった。
 

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