愛に恋

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ドレスデン大空襲

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ドレスデン市

大戦末期の1945年2月13日、イギリス時間17時30分、英空軍の第5爆撃機集団ランカスター爆撃機245機がソビエト軍が迫るドイツ東部の都市ドレスデンに向けて飛び立った。
昔からその美しさにおいてエルベ河畔のフィレンツェと言われた古都ドレスデンを壊滅させるために。
すでにヤルタ会談の席上チャーチルの提案でドイツ国民の士気を削ぐために一般市民を狙った無差別爆撃が決定されていた。
 
21時40分、ドレスデンの街に空襲警報が鳴り響く。
22時03分、イギリス空軍は難なくドレスデンの上空に侵入。
 
その時、ドレスデン市民が上空に見たものは光るクリスマス・ツリーだった。
イギリス空軍の一番機が大空襲の開始にあたって目標識別焼夷弾を落とした。
爆撃は被害を最大にすることを求められていた。
爆弾は建物に到達したあと0.3秒ほどして爆発するようにセットされており屋根を突き破り床に到達した段階で爆発する極めて残虐な方法で。
 
22:03~22:28分の間に通常爆弾507tと焼夷弾371tが落とされた。
そして警報解除のサイレンが鳴る。
 
しかし安心するのはまだ早く、深夜、第2波の爆撃機が迫っていた。
戦力は第1波の2倍529機。
午前1時20分、第2波の空襲が始まる。
文字通り雨あられと爆弾を落とす。
このような状況で精神は平静を保てるわけがない。
 
午前1時45分、空襲は終わるが街を襲った巨大な炎は中心部で酸素を大量に消費するため、ハリケーンのような渦を作る火災旋風が発生した。
翌朝、アメリカ軍のB17重爆撃機311機が第3波として襲来。
 
この時点で戦争の帰趨はほぼ決着しており、戦略的になんの意味もないこのような大空襲は必要なのだろうか。
誰がこのような無慈悲で残虐な無差別爆撃を考案したのか。
 
アメリカ陸軍の航空軍、カーティス・ルメイは1942年イギリスに着任。
その任務はドイツの主要産業と輸送網を爆撃することだったが、爆撃機は地上からの反撃を受けており脅えた操縦士が逃げ帰るという事態も度々発生。
そこで通常爆撃の限界を感じたルメイは戦略の徹底的見直しに乗り出す。
そのルメイに影響を与えたのが悪名高いイギリス空軍のアーサー・ハリス将軍。
軍と民間施設の区別なく爆撃することを提案。
 
昼間の精密爆撃から民間人を殺害する夜間の無差別爆撃への転換。
1944年、ルメイは太平洋戦争に加わりかつて例を見ない絨毯爆撃を日本で行う。
最近、物理学者、フリーマン・ダイソンのこんな言葉を聞いた。
イギリス空軍で爆撃の任務に就いた彼は言う。
 
「私はドイツ人を虐殺したとき以上にこの無防備な日本人を大量に殺すことを不快に感じていたが、任務を放棄することはなかった。そのときは平和がどんなものか思い出せなかったんだ。憎悪も良心の呵責も感じることはなかったから殺し続けた。あの魂の空虚さを表現する言葉をどんな詩人も持ち合わせていないだろう。
しかし、シェイクスピアは理解していた、マクベスにこう言わせたのだ」
『血の河をここまで踏み込んだからには引き返すのは億劫だ、むしろ渡ってしまったほうがいい』