日露戦争を記憶に留め、昭和40年前後まで存命だった作家ほど私にとって興味深い世代はない。
惜しむらくは彼ら前世代の逝去を少年だった私は知らずに過ごしていたことで、あと10年程早く生まれていたら、もっと感慨深く受け止めていたものを。
その世代に合致する大佛次郎を知ったのは昭和48年だと記憶している。
書店で『天皇の世紀』を見たのがきっかけで当初、名前の読み方が解らず、まさか「だいぶつじろう」と読むかと思ったほどで、とにかく、この大長編の第一巻を買ってはみたが直ぐに挫折。
知識が追い付かなかった。
以来、大佛作品を読んだ記憶がない。
本書は古書市で目に留まり滅多にお目にかかれる品ではないと判断したため購入した。
著者晩年の随筆で少々読み難いがこれも修行のうち。
大佛さんは歴史小説作家という分野だと思うが、当然、取材を兼ねて散策している京都が、私が何度も辿った道筋と同じだから、いつの時代も歴史愛好家が歩く道として何やら可笑しい。
曰く。
京都に来て歴史をめぐろうと思い立ったら、どこから始めてよいか当惑する。
高瀬川が流れる木屋町の往来を千メートル歩く間に、幕末の志士の路上に暗殺された跡や、長州屋敷の跡、池田屋騒動の場所、角倉了以の屋敷あと、殺生関白秀次の墓所と、歴史の各時代と、やたらに向かい合う。あなたが足を停めるどの場所の地面にも、歴史上の人物の誰かの足跡が印されているわけなのだ。
まったくその通りでいつもあの辺りを歩く度に池田屋騒動の事を思う。
本書執筆にあたって著者は既に七十の峠を越えているが、このようなことも寂しく書いている。
私の年齢になると、身のまわりから実に多くの人が年々に欠けて行くものである。
鎌倉のような小都市に五十年近く腰をおろして住んでいると、友人も知人も出来たものだが、自分より年長の人はもとより、ずっと若い人でも思いかけず不幸に会って立ち去るのが数えられる。
旅立って行く友を見送るのは寂しかろう。
しかし、大佛さんも既に故人、歿後数十年にしてこれを読んでいるのも何やら不思議。
晩年にはこんなことも書いている。
4キロ肉が落ちて鏡の前に立つと、普通では知らぬ老いを形にして切実に感じた。
私は子供の頃から醜いものが嫌いで、銭湯へ行き老人の裸の姿を見ると、皮がたるみ、手足が細く、皺だらけで痩せ蛙を見るようで、世にも汚いものだと思った。
そいつが鏡の中に見る自分の姿と成ったので、やれやれと思った。
誰もがいずれ通る道、切実ですね。
47年2月の条りには!
文明には無駄がない。今、私どもに必要なのは、無駄である。文明の作る無駄は、始末に困る。ビニールのゴミ類だけである。
確かに、平成の世にあっては無駄が進んだであろう。
本書の巻末には闘病日記があるが最後の日付は昭和48年4月25日。
30日に死去しているが未完で終わった『天皇の世紀』に関してはさぞ無念だったろう。
更に大佛さんは無類の猫好きで「猫は生涯の伴侶」とまで言っているが、死後、彼らの運命はどうなったのだろうか。