世に音楽評論を生業にしている人がどれだけ存在するか知らぬが、ひとりのアーティストにスポットを当て、生涯に残した全作品の解説レビューを書くなどという離れ業をやってのけた人といえば、少なくとも私個人としては先年、お亡くなりになった中山康樹さんしか知らない。
『ジョン・レノンを聴け』『ディランを聴け』『マイルスを聴け』『ビーチ・ボーイズのすべて』『ビートルズ全曲制覇』『ローリング・ストーンズを聴け!』『超ジャズ入門』など著書多数だったが、その中山さんが生前、ただ一人、取り上げた日本人アーティストが『クワタを聴け!』、つまり桑田佳祐だった。
2007年2月21日発行で、最後の楽曲は『太陽に吠える‼』で終了している。
以来、約10年、サザン、ソロ名義で桑田も多くの楽曲を手掛けて来たので、そろそろ続編をと期待していたのだが訃報を聞いて驚いた。
いくらサザン・桑田が国民的メガバンドであり歌手であったとしても全曲解説となると、そう容易いことではない。
例えば『美空ひばりを聴け。全曲解説』なる本が存在しない理由も頷ける。
別に満を持していたわけではないがスージー鈴木なる評論家がこの度『サザンオールスターズ 1978-1985』なる本を出版した。
新聞には「たちまち増販」とあったが果たしてどの程度売れているのか。
しかし何故、85年で終わって仕舞うのか、そのあたりがよく解らぬ。
著者は私より10歳以上年下なので、年代的ギャップがあるが、まあ、それはいい。
初めにこんなことを書いている。
桑田という人は、音楽的知識、経験が非常に深い人で、ボーカルスタイルの源流も多岐にわたってしまい、やや複雑な話しになることを、ご了解いただきたい。
本題に入る前に私個人の『サザン 1978-1985』を少し開陳したい。
『ザ・ベストテン』で、あの有名な「いえ、目立ちたがり屋の芸人で~す」とほざいた78年の8月31日、たまたま私はその日の番組を見ていた。
後に吉田拓郎が言った「どこにもロックのロの字もなければフォークのフォの字もない」あの見っとも無い姿のデビュー曲を聴いてしまった。
「ビートルズ以前、ビートルズ以後」と良く言われるが、私にとっては「桑田以前、桑田以後」の始まりになったわけだが、それはあくまでも結果論で、まさに1985年までのサザンは歌謡曲と出鱈目ロックの融合とでも言うか、即ちどうでもいい音楽だった。
画面で見る桑田はまるで軟体動物のそれで意味不明の歌詞のオンパレード。
全く世も末とばかりの印象だったが、86年、桑田は突然変異のように豹変し私の感性を大きく揺さぶった。
中学以来、洋楽一辺倒の私を驚愕足らしめたのは最も嫌悪していた、その桑田佳祐だったのである。
クワタバンドがリリースした「BAN BAN BAN」と「スキップ・ビート」を店頭で聴いた時の衝撃!
圧倒的な洋楽センスと到底日本人とは思えぬ歌唱法に度胆を抜かれ、早速、ドーナツ盤を買って聴きまくった。
以来、桑田なるアーティストの感慨も一変。
時を同じくして丁度、その頃付き合っていた女性に「好きなら上げるよ」といってダビングしたサザンのテープを何本か貰った。
そして出会った「Oh!クラウディア」。
決定打となったのは、ある年の夏、郡上八幡の徹夜踊りに向かっていた車中で聴いた「旅姿六人衆」と「東京シャッフル」。
きっかけはともあれ、以来、桑田佳祐の多面的の才能を自分なりに研究してみた。
桑田サウンドの礎となった洋楽。
歌唱法。
楽曲のタイトル。
横文字に聴こえる日本語歌詞。
アレンジ。
楽曲バリエーションの広さ。
どんなジャンルでも歌いこなせる才能。
著者が「勝手にシンドバッド」を聴いたのは小学6年と書いているが邦楽か洋楽かさえ分からなかったと言っている。
だいたい、そのまでの歌謡曲に、「いま何時、そうねだいたいね」なんていうふざけたフレーズがあっただろうか。
「胸騒ぎの腰付き」という歌詞からして文法的には間違っているし「あなた悲しや天ぷら屋」「たまにゃMaking love ぞうでなきゃ Hand job」三波春夫さんなんか、実際、こんな歌詞をどう思っていたのか訊いてみたいところだ。
しかし、今にして思えば桑田のデビューは歌謡史上の革命だったかも知れない。
因みに10月12日のベストテンを見ると。
1位 世良公則&ツイスト 銃爪(ひきがね)
2位 堀内孝雄 君の瞳は10000ボルト
3位 山口百恵 絶対絶命
4位 サザン 勝手にシンドバッド
5位 西城秀樹 ブルースカイブルー
6位 野口五郎 グッドラック
7位 沢田研二 抱きしめたい
8位 ピンク・レディ 透明人間
9位 アリス ジョニーの子守歌
10位 郷ひろみ ハリウッド・スキャンダル
懐かしい曲ばかりですね!
更に79年には『月間明星』に年3回も表紙を飾っているらしい。
全然知らかった!
しかし、初期のサザンは話題性はあってもセールス的にはあまり売れていない。
だが、こんなことを言っている人もいる。
例えば村上龍。
「桑田の歌詞はデリケートだ。デタラメな日本語というバカが大勢いるが、桑田ほどデリケートな歌詞を書ける人はいない。そう、革命的にデリケートなのだ」
また、川勝正幸はこうも言う。
確かに私も同意見だが、著者と見解を異にする記述もある。
『Oh!クラウディア』のクラウディアとは梅宮辰夫夫人のクラウディアだと書かれているが、さすがにそれは違うだろう。
桑田がイタリア人のミーナが好きなことは周知の事実だが、私や桑田の世代でクラウディアと言えばクラウディア・カルディナーレを於いて他にいない。
しかし、以下の意見には同調する。
「ロックミュージシャンは、いつも強面で仏頂面でなければならない」
という感覚が当時の音楽界を支配していた中で、コミカルな側面を全面に押し出してきた桑田は、やはり偉大だった。
さらに言えば桑田の作詞法はどことなく点描的である。
文法などは取り敢えず無視。
適当に思いついた単語をパズルのように嵌め込んで行く。
つまり、全体的なバランス感覚で纏め上げる。
意味など解っても分らなくても何となく色合いの調和が取れればそれでOK。
勿論、メッセージ性の強い曲や意味の通ったバラードなどもあるが、あくまでもサウンド重視のように思う。
つまり、洋楽など意味が解らなくても曲が好ければ全て良し、そういう感覚とも似ている。
私から見た桑田という人は超人的な音感の感性の持ち主で、豊富な洋楽知識を一端、解体し、都合よくバランスの優れた邦楽ロックに変化させてしまったと言える。
歌詞においては猥褻というものを鈍化させてしまい、いつの間にか桑田が歌うエロソングはアンダーヘアー解禁のように国民は取り立てて問題にしなくなってしまった。
これは良くも悪くも桑田の既得権益で珠玉のバラードと突飛な開脚ソングなどで見事な両天秤を自在に操り今日の不動の地位を築いて他の追随を許さない。
天才にしてスーパースターでありながら時に発言はお下劣。
昔と違いお出ましも年間にして数回。