愛に恋

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偉人伝 日本人 part.13 

薩摩藩士黒田清隆。第二代総理大臣。

1870年5月1日、浜口雄幸が生まれました。第27代内閣総理大臣を務め、その風貌からライオン宰相と呼ばれた。出生時には「幸雄」と命名されますが、出生届を出しに行った父親が酒を飲み酩酊し誤って「雄幸」と記入したことからこのような名前になりました。ロンドン海軍軍縮条約の枢密院審議を乗り切った浜口内閣であったが、昭和5年11月14日、統帥権干犯に憤った右翼青年佐郷屋留雄によって浜口が狙撃された。浜口は一命を取りとめたが以後健康状態は悪化し、4月14日に浜口は首相を辞職し、第2次若槻礼次郎内閣が成立、その4ヶ月後の8月26日浜口は62歳の生涯を閉じた。

江戸川乱歩です。宇野浩二がを訪ねた時のこと。 宇野浩二は乱歩がかねてから愛読していた作家であり、デビュー間もない頃の乱歩を賞賛し「日本のエドガア君、万歳!」と推薦文を寄せてくれた恩人でもある。

今日の「この人は」犬養毅です。1855年6月4日に生まれました。 犬養は慶應義塾在学中に新聞記者として西南戦争に従軍し記事を執筆していました。その後は大隈重信の立憲改進党に入党、大同団結運動などで活躍した後に衆議院議員に当選し、以後42年間、18回連続当選という尾崎行雄に次ぐ記録を打ち立てることになります。最後の言葉は、煙草に火を点けようとして撃たれた犬養は、慌てて飛んできた女中に「おい、火を点けてくれんか」でした。https://www.youtube.com/watch?v=tLVv7da5PAs

今日の「この人」は【向田邦子さん】脚本家、エッセイスト。戦争体験を背景に、家族や日常を愛情深くユーモラスに描いた。人気ドラマを多数執筆後、エッセイでも才能を発揮。1981年、飛行機事故で急逝。享年51歳。この人、けっこう美人ですよね。

今日の「この人」は上山草人(1884年1月30日-1954年7月28日)です。おそらく誰も知らないと思いますが、ダグラス・フェアバンクス主演の活劇映画『バグダッドの盗賊』に出演。ハリウッドで活躍した日本人俳優の一人となった。帰国後の出演作に『赤西蠣太』『七人の侍』などがある。気性が激しく、トラブルが絶えない性格だったらしい。巨根として知られており、「一に草人、二に宇礼シュウ(江川宇礼雄のこと)、三、四がなくて、五に馬の何某」という地口があるほど男性器の大きさは有名であった。『七人の侍』で琵琶法師役で出演。

1945年6月23日 沖縄戦。軍司令官 自決。04:30、経理部長自決の直後、今度は坂口大尉が軍司令官牛島中将と参謀長長勇中将が着座した瞬間に手練の早業で躊躇なく、首を刎ねた。台湾に精鋭師団を取られながら捨石の任に徹した牛島は最後の陸軍大将に親任され米軍事評論家は日本軍随一と賞賛。沖縄県人57万の2割を犠牲にした沖縄戦 敗退で小磯内閣が倒れ 鈴木貫太郎の終戦内閣が発足。

御木本幸吉(1858年3月10日(安政5年1月25日) - 1954年(昭和29年)9月21日)です。世界で初めて真珠の養殖に成功しました。1927年には渋沢栄一の仲介で発明家のエジソンとニューヨークで会見し、エジソンから真珠の養殖成功を絶賛されています。これを機に「ミキモト・パール」の名がアメリカ全土に知れ渡ったそうです。しかし幕末から昭和まで激動の時代をそっくり生きて来たんですね。

東郷平八郎元帥

東條英機とブレナン弁護人の秘書エレイン・フィシェル。

昭和21年9月11日、市ケ谷。