愛に恋

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日本の偉人伝 Part.5 

川路利良

樋口季一郎

第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満州国通過を認め「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。大戦中はアッツ島の戦いキスカ島撤退作戦、ソ連軍が千島列島の占守島に侵攻を始めた際、「断乎、反撃せよ」と徹底抗戦を命じたのが樋口中将。樋口の決断と現地軍の奮戦の結果、日本は「ソ連による北海道分割」の悪夢から免れた。

泉鏡花

「憲政の神様」尾崎行雄です。当選回数、最高齢議員記録など国会議員としての記録を多数有し、護憲運動での活躍が有名。戦時中も大政翼賛会に属さずに当選を果たし、戦後も94歳で落選するまで63年に渡って国会議員を務めた。国会議事堂議事堂には確か、議員生活50年になると胸像が作られるはずで、尾崎行雄も当然あるはず。

1825年10月26日の今日が岩倉具視が生まれた日です。下級貴族出身ながら、尊王攘夷派として活躍し、明治維新の立役者となり、大政奉還の時、山内容堂と対立し征韓論でも西郷相手に反対の論陣をはりましたが、どうも好きになれませんね。

1871年11月5日、社会主義者幸徳秋水が生まれました。 明治天皇暗殺計画を立てたとして処刑されました。 この事件により多数の社会主義者無政府主義者の逮捕が始まり、社会主義運動が沈滞する「冬の時代」に入ります。 足尾銅山鉱毒事件で有名な田中正造の直訴状を起草したのも幸徳秋水でした。

この人は誰!若かりし頃、Chicagoのギャングだった(笑)手塚治虫先生です。

1898年11月12日、ジョン万次郎が亡くなりました。 14歳の時に漁の途中で漂流し、アメリカ船に救助され、ハワイを経てアメリカ本土にたどり着き、その後はアメリカの学校に通い、捕鯨船員などで資金をためた後に自費で帰国。帰国後は幕府、政府の欧米派遣に随行するなど活躍した。彼は土佐の人です。

1930年11月14日、浜口雄幸首相が東京駅で右翼・佐郷屋留雄に狙撃された日ですね。所謂「男子の本懐」と言った人です。腸の30%を摘出し一命を取り留めるも、この傷がもとで亡くなります。原敬暗殺事件以降、駅における首相の乗降時は一般人が入れないようにしていましたが、浜口の意向により、この時立ち入り制限されていなかった。野党のによる与党に対する追求が厳しいおり、浜口は無理を押して国会に登壇しますが、この時は激やせして見るからに痛々しい姿でした。結局、このこともあって浜口は死去。ライオン宰相と言われた人です。

慶応3年11月18日、伊東甲子太郎が暗殺される。伊東は近藤勇の腹心だったが、「佐幕」を掲げる近藤と徐々に溝を深めていき、新選組を脱退して高台寺党を組織するが、この時、写真の斎藤一も共に脱退しますが、実は斎藤は新撰組の間者で、伊東が近藤暗殺計画を企てているという情報を、新選組と事前に共有して油小路事件の変が起き、待ち伏せされた伊東は暗殺。その遺体を引き取りに来た、新選組結成からの同志だった藤堂平助らも土方歳三によって斬られた。新選組の局中法度はどこまでも厳格ですね。藤堂平助の墓に昔、詣でたことがあります。