愛に恋

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ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか—民主主義が死ぬ日 ベンジャミン・カーター・ヘット

ペリー来航の1853年から明治維新までの1868年の15年間、この幕末といわれる時代をドイツ人が勉強するとなるとかなり厄介で難しいと思う。武家、大名の名前のややこしさから、無数に出て来る人物。朝廷と幕藩体制の関わり方、目まぐるしく変わる政局など、日本人が覚えるにも大変だが、逆に第一次大戦後の1919年、ヴァイマール共和国誕生からナチ政権誕生の1933年までの14年間を日本人が勉強するとなったら、これまた厄介だ。ドイツ人の長ったらしい名前と発音の難しさ。各政党から無数に出て来る人の多さ。日本人だから幕末に関する多くの著作物を読めたが、ドイツ語が読めないのでヴァイマール時代の人物の伝記など読めないもどかしさ。つまり、松平容保土方歳三のドイツ語版がないのと同じだ。ナチ政権幹部を除けばヒンデンブルク元帥ぐらいしか知らない私としては、いくらヴァイマール共和国に興味があってもお手上げ状態だ。そのヒンデンブルク元帥はドイツでもっとも尊敬された軍人で、見るからに威厳に満ちた人だ。元帥が嫌いなのはカトリック教会と社会民主党、そしてボヘミアの伍長ことアドルフ・ヒトラー。併し、ヒトラーが、ずば抜けた才能で民衆の心を奪う演説力を持っていたことは間違いない。私の知る限り、他にマーティン・ルーサー・キング牧師ぐらいしか知らない。こうした中、1923年1月に1ドル17000マルクだったものが、11月には4兆2000億マルクというハイパーインフレに暴落し、1929年には失業者が1500万人にまで増加、その結果、14年あまりの共和制では13人の首相、21の異なる内閣が誕生した。その間、共産党対ナチ党、共産党社会民主党、警察対労働者など激しい闘争が繰り広げられ、1929年には社会全体が引き裂かれていた。ヴァイマール共和制では、全ての政党が準軍事組織を持っていたので日常的に暴力行為で死者が絶えなかった。議会が安定政権を成立させれなかった1933年、最も力のある政党の党首を選ぶ以外にどのような方法があったのか、誰一人、ヒトラーの最大の敵でさえも分からなかった。そして1933年1月30日、ヒトラー内閣誕生、翌2月27日、国会議事堂炎上。翌朝、内閣は緊急事態に乗じて「議事堂炎上令」と呼ばれる大統領令の発令で憲法は骨抜きされ、共産党に対する大弾圧が始める。更には国会が全ての立法権限をヒトラーの政府に移譲する「受権法」が成立。ここにヴァイマール共和制は壊滅してしまった。