愛に恋

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トーマス・マン日記 1933ー1934

トーマス・マンの日記は5巻あるらしいが、私が読んだ本書は第1巻になる。

併し、こんな本を読む人など先ずいないだろう。

それもそのはず、かなり専門的で難しい。

偶然、古書市で見つた1933ー1934年の第一巻は、ヒトラー政権が勃興した年と重なり興味がわいたが、如何せん、ドイツ語の読みづらさ、人名、地名などカタカナで読むには四苦八苦。

更には膨大な注釈、マンの交友関係の広さから作家、大学教授など当時の著名人がこれでもかというほど登場する。

なかでもヘルマン・ヘッセとの親交は深く、自身がノーベル文学賞作家でもあることからヘッセを文学賞に推薦している。

また、アメリカ亡命後はアインシュタインと家が隣同士だったらしい。

マンの生活は講演、読書、執筆、そして毎日届く膨大な手紙への返信。

併しマンは日々、体の不調を訴えており、興奮し易く不安に陥り、何かのことで普段以上に緊張した時は、鳩尾や脳の中に植物神経が揺さぶられるような気持ちで、何とも名状しがたい恐怖と不安に襲われると言っている。

ドイツ国内では国会議事堂炎上事件、突撃隊 (SA) に対する粛清事件でレームなど幹部が殺害され、マンが期待していたシュライヒャー将軍まで殺害されながら国防軍は動かなかったことへの失望。

その他、多くの政治家、共産党員、軍幹部などが次々の暗殺され、遂にはオーストリア首相ドルフースまでもが凶弾に斃れる。

マンの怒りは凄まじくヒトラーゲーリングゲッペルスには再三口汚く罵っている。

更にはヒンデンブルクの遺書が行方不明になるなど、愈々、ナチの本性が分かるにつれマンの精神は不安定になり睡眠薬が手放せない。

日記は1933年3月15日から始まるのだが、マンはそれとは知らず2月11日、ワーグナーの論文を携えてアムステルダムブリュッセル、パリへの講演と休養を兼ねた旅行のつもりでミュンヘンの自宅を出たが、結局それが長い亡命生活になってしまった。

膨大な蔵書と誰にも読まれたくない日記を残しての逃亡生活は痛くマンの心を病んだようだ。

本来ならば続きを読んで、その後のナチの変遷とマンの心境など知りたいところだが、まあ、あまりに膨大でさすがに読めない。