愛に恋

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リディツェ村 1942年5月27日

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1942年5月27日、ラインハルト・ハイドリヒSS大将はプラハ城にある執務室にメルセデスで向かう途中、投げられた手榴弾がもとで八日後に死去。
暗殺犯はイギリスにあるチェコスロバキア亡命政府から送り込まれたガプチイクとクビシュの二人。


事件に対するナチの報復は熾烈を極め、ゲシュタポ武装SSが正教大聖堂の地下に隠れていた犯人たちを追いつめ、激しい戦闘の末、全員射殺。

事件現場となった、プラハ近郊のリディツェ村に住む15歳以上の男性150人以上を「暗殺犯を隠匿」した罪で手当り次第に殺害。

女性、子供は強制収容所送り、村の象徴だった教会もろとも全てを破壊し地図上から消し去り、更地にしてしまうほどの徹底ぶりで、あまりにも大きな代償を払わされた暗殺劇だった。


ヴァンゼー会議で有名なラインハルト・ハイドリヒとはユダヤ人問題の最終的解決を任務とする国家保安本部長官として悪名高い。

それにしても、後年、ヒトラー暗殺計画に携わった軍の高官らがどんな末路を辿ったか知っている私らは、ゲシュタポに逮捕されるぐらいなら自ら死を選んだ方がどれだけ楽なことか。
因みに更地となった嘗ての村跡は現在記念公園になっており、ハイドリヒの乗っていた車もプラハの軍事歴史博物館で見ることが出来るらしい。
一度、行ってみたいものだ。