2021-01-25 カミーユ・ピサロ Part.8 命短し恋せよアート 《マルヌ川のほとり、冬》(1866年) シカゴ美術館 《静物》(1867年頃) トレド美術館 《りんご採り》(1886年) 大原美術館 《ポール・セザンヌ》(1874年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《ポントワーズ近郊、エルミタージュ地区のコート・デ・パブ》(1877年) 《曇天の朝のモンマルトル通り》(1897年) ビクトリア美術館 《エルミタージュの丘、ポントワース》(1867年) 《ルーヴシエンヌの雪道》(1870年) ビュールレ・コレクション 《オペラ座通り テアトル・フランセ広場》(1898年) ロサンゼルス・カウンティ美術館 《冬の朝のポン・ヌフ,セーヌ川,ルーブル美術館》(1901年 ホノルル美術館) アナタ、1870年の普仏戦争でロンドンに逃れ、1871年6月14日、ジュリーと正式に結婚して同月末、帰郷したら自宅はプロイセン軍に荒らされ残していた作品も破壊されていたんですってね。 勿体ない事をしましたね、絵も一緒に避難させるということは考えなかったんですか。 数的にはどのくらいか知りませんが、もっと注意して疎開しないと戦争なんですからね。 私ね、芸術作品が戦禍で失われることが大嫌いなんですよ、まったく。