愛に恋

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春画にみる色恋の場所 白倉敬彦

 
江戸期という時代は現在のように住環境が整っていないためか、色恋に関しかなり抵抗感がなかったように思われる。
開けっ広げとまでは言わないが性風俗にはかなり寛容だ。
誘うのはいつも男とは限らず大店の女将などは奉公人などを捕まえては楽しんでいた。
 
春画は今で言うエロ本とはやや趣きを異にするようで、何かリアリティがないと言うかユーモラスな雰囲気を醸し出している。
当時は男性自身のことを「へのこ」または「まら」と言い女性器のことは「ぼぼ」と言った。
このパーツの描写はあくまでも誇大で誇張こそが絵の本質と言ってもよい。
人物の後ろには必ずといっていいほど、くずし文字で何やら書かれているが、これが読めれば尚、面白いと言うものだが。
 
しかし昔の人はありとあらゆる場所で事を行っている。
当然、夜分は電気もなく蝋燭とて貴重品なので闇夜の中で致す。
これでは相手の顔も見えまいに。
いろいろ面白いことが書いてある。
子供がこのように言う。
 
「とつさん、地震がゆって怖い」
「気づかいするな。鯰にいま、要石を差し込んでいる」
 
鯰にいま、要石を差し込んでいるか、上手い事を言うものだ!
湯上りの女と酒を呑んでいる男の場合は。
 
「湯ぼゝ酒まら」
 
ところで江戸の混浴というのは寛政三年に廃止されたとあるが、それでも依然、混浴は続いていた、これも寛政の改革の煽りであろうか。
正式名は「入込み湯」と言う。
 
本のタイトルとしてはこれが面白い。
 
『枕童児抜差万遍玉茎』
 
「まくらどうじぬきさしまんべんたまぐき」と読む。
しかし驚くのは夜鷹の料金、僅か二十四文、約600円らしい。
最後に作者の談としてこうある。
 
「大体、快楽を禁忌視することが間違いであって、人が快楽を求めて生きるのが本然である。日本人は、その快楽を是として認め、その追求を素直に生きたのだ。そして、それは当たり前のことで、我々は、その当たり前を忘れているだけだ」
 
さしずめ、江戸期の性感覚こそ正常と言うべきことなのか。
 

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