愛に恋

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ハリス 日本滞在記 中

私が、初めて伊豆の下田に降り立ったのは確か昭和60年の夏だと記憶するが、一週間ばかり仕事で行ったのを皮切りにすっかり当地を気に入り、以来、何度となく足を運んでみた。
二度目の訪問は観光で、偶然にも黒船祭りの時期、米軍の軍楽隊演奏を中心に市内はお祭りムード一色だったが、既に30年余の時を経たとは信じられない。
 
下田と言えばやはり黒船。
ペリー上陸地点、お吉身投げの川、松陰密航の柿崎弁天島、そして玉泉寺と見て周ったが、今回、ハリス日記を読みながら当時を思い出し、出来るならもう一度、玉泉寺を訪ねてみたいと切に思う。
 
私の下田に関する印象はハリスは書いていないがとにかく南国情緒。
とにかく昆虫、甲殻類がやたらに大きい。
尤も驚いたのはゲジゲジ
私が育った地方でゲジゲジと言えば精々、小枝ぐらいの細さで体長も4㎝ぐらいだろうか。
しかし、下田のゲジゲジは桁外れ。
親指大ぐらいはあり路上を歩くゲジゲジを見てビックリ。
更に樹木に群がる蜘蛛のこれまたお尻の大きなこと、蜘蛛嫌いの私には衝撃で、それに連なる田圃には至る所、無数の蟹。
気候が違うとこうも生き物のサイズが拡大するのかと感心することしきり。
 
余談が長くなったが、ハリスが米艦サン・ジャント号で下田に入港したのは1856年8月21日。
総領事館は玉泉寺で時にハリス51歳。
ハリスは運動不足解消のため始終散歩に出ては動植物、市民の暮らしぶりを小まめに書き留めているが、元来、日本人には散歩の習慣はない。
しかし、勤労意欲が運動不足を補っていたのか比較的、庶民は健康のようだとある。
その結果、こんな記述が。
 
日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも優秀であることを、繰り返して言う。
 
下田より温和な気候は、これまでのところ、世界のどこにもないと確信している。
 
日本人は清潔な国民である。誰でも毎日沐浴する。職人、日雇いの労働者、あらゆる男女、老若は自分の労働が終わってから毎日入浴する。下田には沢山の公衆浴場がある。
 
ただ一つ、ハリスを悩ませ理解出来ないこと、それは・・・!
 
男女、老若とも同じ浴室に入り、全裸になって身体を洗う。私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる。
 
しかし、ハリスが言うように!
 
それが女性の貞操を危うくするものと考えられていないことは確かである。
 
確かに不思議なことだ!
女性の全裸を見ても欲情を催すこともなく勃起もしないとは、長い習慣が性欲を麻痺させてしまったのか。
しかし、夫婦間の性行為だけは別とはどういうことか?
この点に関しては通訳のヒュースケンも同様のことを日記に書いている。
 
住民はみな貧しく生活するだけで精一杯だが、人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で日当たりもよく気持ちがよい。世界の如何なる地方においても労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。
 
更に。
 
日本人のように飲食や衣服について、ほんとうに倹約で簡素な人間が、世界のどこにもあることを知らない。宝石は何人にも見うけられない。着物の色は黒か灰色である。貴人のものだけが綿布で、その他そべての者の布は木綿で、日本人は至って欲望の少ない国民である。
 
昔から日本人は質素倹約を旨のしてきた民族なんですね。
ところでハリスは日記の至る所で体長不良を訴えているが周囲の日本人を驚かせたのは冷水浴。
11月6日の記述にも冷水浴とあるが、流石にこの時期では少し寒かろうに。
つまり、日本人には冷水浴の習慣がなかった裏付けでもある。
 
 
しかし、ハリスはいいことばかりを書いているわけではない。
役人との折衝は遅々として進まず激論に及ぶことも屡々、全権委任状を持つハリスと、いちいち幕閣にお伺いを立てる奉行、その度に江戸に向かう使者。
会議の進展がなくハリスを苛立たせるが、奉行にしてみれば何事も独断で決定出来ず、場合に拠っては切腹もあり得るとなればうかうか決断も出来ない。
 
例えば日米の貨幣交換比率問題、下田、函館へのアメリカ人永住許可、役人を通さぬ買物の自由、総領事の国内旅行の自由化などだが、確かに当時の国法にあっては奉行如きが決められるはずもない。
因みに当時の筆頭老中は堀田備中守で最終的な大問題はハリスの江戸出府。
大統領の親書を大君に直接渡すと言って聞かず、前例もなきこと故、こればかりは到底許し得ないと食い下がる奉行たち。
意地と面子の駆け引き、さあどうなるか下巻のお楽しみ。
 
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