愛に恋

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文久三年御蔵島英語単語帳 小林亥一

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江戸時代、日本人の外国漂流としては、中浜万次郎アメリカ彦蔵、大黒屋光太夫などが有名だが、逆に日本に漂流したものといえば、明治23年に和歌山串本町沖で遭難したオスマントルコエルトゥールル号遭難事件が有名だろう。
500名以上の犠牲者が出たが住民総出で救助と生存者の介抱に当たったことは後世語り継がれている。
 
しかし、明治4年にはこんな事例もある。
所謂「宮古島島民遭難事件」と呼ばれるもので、宮古島の船1隻が遭難、台湾東南海岸に漂着した69人のうち3人が溺死、山中をさまよった生存者のうち54名が原住民によって殺害された事件で、日本政府は事件に対し清朝側に厳重抗議したが、原住民は「化外の民」であるという清朝からの返事に伴い、日本政府は同7年、台湾出兵に踏み切った。
西郷が征韓論で敗れ下野した翌年のことになる。
 
前置きが長くなったが本書は文久三年(1863)夏、483人乗りの米国船ヴァイキング号が、伊豆御蔵島で難破。
幕末、動乱期の孤島に起こった「国際事件」の顛末と、島役人・栗本市郎左衛門が短期間に独力で作った『英語単語帳』なるものが紹介されている。
特にヴァイキング号の乗組員23人、雇用の中国人(広東人)460人を島人たちが、全員救出するという快挙をなし遂げた詳細が『西洋黒船漂難一件記』として市郎左衛門により書き残されたものが、原文と現代表記と両立からなる本で、江戸幕府通詞、堀達之助の話はそれなりに知っていたが、ヴァイキング号難破の話は全く知らなかったが、突然、平和な孤島を襲った南蛮人上陸の恐怖は今となれば滑稽な話でも当時の島民には驚天動地の驚きで当初は全員死を決して戦の覚悟をしたほどだった。
 
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