愛に恋

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ホテル ニューグランドの魔法 横浜の時を旅する 山崎洋子

2008年夏、日産スタジアムで行われたサザンライブ参戦のため3泊4日の日程を組んで横浜へ行った。
宿泊先も横浜、新宿、藤沢と私にしてはかなり豪勢な旅で、横浜では山下公園を眼下に、氷川丸が係留されている絶好のポジションのホテルに宿泊したつもりだっだが、ここ最近、あるテレビ番組で横浜一と言われるホテルニューグランドの存在を初めて知って地団駄を踏んでしまった。
何と、そのホテルは私が滞在した場所の真横に位置し迂闊にも宿泊の機会を逃したわけだ。
調べれるほどにホテルニューグランドは興味の尽きないホテルで、田舎者にして三枚目の私も是非一度行ってみたいと思ってた折り、2016年の桑田佳祐カウントダウン・ライブに参加出来ることになり明けて正月早々ホテルの門を潜ってみた。
意を決して行った限りは、いくら貧乏人でも珈琲の一杯ぐらいは飲みたい。
少し高級そうな一階の喫茶店で予約を取り、暫く館内を散策するとブティック店頭に上の本が。
横浜開港とホテルニューグランドの歴史に付いて書かれたものだけに買わずにはいられない。
旅先で出会う郷土の本というのは確かに魅力的だ。
そして、お目当てのティーへ!
以前にも何かで読んだが、関東大震災は神奈川が震源地だったが為に、この辺り一帯は甚大な被害を被り、その結果、あふれ出た膨大な瓦礫を埋め立てて造ったのが山下公園で、その復興のシンボルとして昭和二年建築されたのが当ホテルらしい。
その後、チャップリンベーブルース、戦後は裕次郎映画のロケ地としても有名らしいが、チャップリンがここに泊まったとは知らなかった。
確か、五・一五事件と重なった日だったと記憶するのだが。
開業当時、支配人はヨーロッパ料理界の貴公子でスイス人のサニー・ワイルドという超一流コックを招き、本場のフランス料理を提供したとあるが、これが実に日本人には厄介な代物。
フランス料理は厳格なマナーで知られ、服装はもちろん正装でナイフやフォークの使い方から、ワインの飲み方、客はウェイターの顔色を窺いながら食事をしなければいけなかった。
また、今に伝わるドリアはワイルドがこのホテルで考案したもので、更にスパゲティ・ナポリタンも二代目のコック長、入江茂忠という人が初めて作ったとある。
とにかく、横浜という所は発祥の地が何かと多い。
それはそうと、このホテルに泊まった最重要人物はマッカーサー元帥。
それも最近まで知らなかった。
私はてっきり、あのお堀端にある、第一生命ビルが元帥の本丸とばかり思っていたのだが、8月30日、厚木飛行場に降り立った元帥は真直ぐこのホテルにやって来た。
三日間泊まった315室はマッカーサーズ・スゥート・ルームとして現在も宿泊可能だ。 
私も元帥の気持ちになって一度泊まってみたい(笑
このエレベーターに乗って。 
因みに大佛次郎昭和6年から10年間、仕事部屋にしていたのは318号室。
夕方、仕事を終えると大佛は当時、一階にあった、バー・シー・ガーディアンで一杯飲むのが日課だったとあるが、このシー・ガーディアンが後にサザンが歌う『LOVE AFFAIR~秘密のデート~』の歌詞に出てくる「シー・ガーディアンで酔わされて、まだ離れたくない」の場所だったんですね。
とにかく、このホテルは歴史の宝庫。
館内には小磯國昭大将の写真もあり、戦前は外国人客で大いに賑わったらしい。
溯れば安政五年にこの辺りの埋め立て造成も完了し江戸の吉原、長崎の丸山に勝るとも劣らない遊郭も出来、清国人も多く来日し、クリーニング、印刷、塗装、料理、洋楽器と西洋文化文明を日本人に指導伝達したのが華僑で、その末裔たちが作ったのが今の中華街になる。
最後に、現在の総料理長は藤沢の辻堂生まれの人だとか。