愛に恋

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命削る性愛の女 阿部定〈事件調書全文〉

 
この犯罪史上稀な怪事件は、どのように理解したらよいのだろうか。
事件の経緯は全て明らかになっているので、別に今更問題点もないが、やはり定の心理状態だけが腑に落ちない。
 
仮に、これぞ理想の相手と思しき男性に巡り会ったとする。
相手は家庭持ち。
自分は異常に嫉妬深い性格。
容姿、性癖共に二度と合間見えることのない男。
一時といえども離れたくないと定は考える。
 
しかし、これ以上の長逗留は金銭的にも限界で、いずれにしても金の工面のため、一度は家に帰らなければならないと吉蔵は言う。
だが定は、家に帰れば奥さんともSEXをすると妬む。
宿泊中、二人は何処へ行くでもなく、ただ飲んで食って行為を繰り返すだけ。
こんな生活がいつまでも続くはずもない。
 
その後、何度目かの逢瀬の時、吉蔵は言った。
 
「首を絞められるのは気持ちいいんだってね」
 
つまり、首を絞めながら性行為をする、少し危険な行為だが、それを繰り返すうち、吉蔵は言ってはならない一言を口走る。
 
「定・・、俺はお前のためならいつでも死ぬよ」
 
時に石田吉蔵42歳。
料理店を営む妻子持ちの主人にしては、あまりに軽率な一言だった。
裁判記録を読むと弁護士発言の中に以下のような記述が出てくる。
 
「ともに精神病学上、陰陽がまったく符合する二人が融和したというのは、まさに千載一遇の稀有なる運命である」
 
微妙な問題だが、私なりの解釈では“精神病学上”というのは、滅多に居ない性癖の二人ということだろう。
馴れ初めは料理屋の亭主と使用人の仲居で、出合ってから関係を持つまでの日数は事の他短い。
 
しかも、石田吉蔵はまたとない絶倫男。
定は、それを受け入れるには程よい女だった。
“陰陽がまったく符合する二人が融和したというのは”とは、正にその事を指している。
 
その二人が、求人広告という張り紙一枚で偶然にも巡り会ってしまう。
それが“まさに千載一遇の稀有なる運命である”と言う表現になっているが、果たしてこういう出会いがあったならば、定と同じような行為に及ぶかと言えば、それはまずあり得まい。
 
定、ならではの所業だった思うが。
その後の定の様子を見ると、後悔の念というのがまったく希薄で、独占欲を満足させたが如くサバサバとした態度、この結末こそが当人たちを最大限に昇華させる最良の方法だったと云わんばかりだが、吉蔵の心理としても実に不可解だ。
恋愛の極地が為せる所業なのか、二度と逢えないSEXも味わえない、これをどう解釈したらいい。
補うべく新たな代替案がないではないか。
つまり何か、吉蔵の逸物さえ切り取って大事に我が物とすれば、たとえ会えなくとも吉蔵は永遠に私の物だということか。
 
想い出を胸にひっそり日陰の女として生きて行く。
定に言わせれば損失感より独占欲が勝った。
それだけで、長い人生歩んで行けるものだろうか。
この点に関しては定を問い詰めたい。
 
因みに、もう少し定を知りたくて『阿部定手記 (中公文庫)』『阿部定正伝』も序に読んでみた。
ただはっきりしていることは、定の消息は不明のままで、その名のとおり生死も定かではない。
 
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