愛に恋

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栄光の帝国海軍 part.4

1935年11月、館山沖にて全力公試中の軽巡洋艦鈴谷。昭和19年10月25日、サマール島沖追撃戦(レイテ沖海戦)で空襲を受け、酸素魚雷が誘爆、沈没した。

1932年8月30日、横須賀沖を航行中の駆逐艦朝霧。

1946年1月13日、シンプソン湾にて復員輸送中の航空母艦葛城。

1925年2月14日、津久茂瀬戸を航行中の戦艦扶桑

1932年8月15日、浦賀船渠にて竣工引渡し直後の駆逐艦雷。昭和19年4月13日、敵潜水艦の魚雷2本があたり沈没、乗員は駆逐艦長の生永邦雄少佐以下238名全員が戦死。

1938年10月21日、廈門港外に停泊中の戦艦伊勢。1945年7月24日、アメリカ軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、伊勢の牟田口格郎艦長をはじめ、主だった指揮官20名ほどが戦死、浸水は5000トンに達した。師岡勇高射長が艦長代理となり呉工廠第四ドックに曳航しようと作業中の7月28日、伊勢は再びアメリカ軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破、右舷に15度傾斜して着底。戦死者は573名に及んだ。

1940年3月9日、広島湾にて全力公試中の第十六号潜水艦。昭和20年3月10日、戦闘中、水深150m以上の深さで爆発。艦長の竹内義高少佐以下乗員107名全員戦死。

1944年5月3日、呉軍港にて傾斜試験中の航空母艦隼鷹

1928年11月20日、三菱長崎造船所にて艤装工事中の重巡洋艦羽黒。1945年5月16日、イギリス駆逐艦の雷撃を受け、羽黒は損傷のために速度を制限せざるを得ない状況であり、戦場からの離脱を断念、随伴する神風を離脱させ、最終的に3本の魚雷が命中し、02:32に船首部分から沈没。羽黒に同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十少将、機関長堺谷友太郎大佐以下400名あまりが戦死し、320名が引き返してきた神風に救助された。

1938年11月20日、館山沖にて全力公試中の潜水母艦剣埼。