愛に恋

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栄光の帝国海軍 part.3

1931年8月29日、呉沖に停泊中の伊56。潜水艦にしてはえらく長いな。

空母赤城

1935年7月28日、竣工引渡し直後の軽巡洋艦最上。ミッドウェー海戦後の航空巡洋艦改装と3度の大幅な改修が行われ、戦闘中に二度の衝突事故に見舞われた艦でもある。1944年10月のレイテ沖海戦で西村艦隊の一員としてスリガオ海峡に突入して扶桑の副砲射撃を受ける等して大破し、自沈処分された。

1932年7月29日、夏季戦技のため館山へ向け出港する軽巡洋艦由良です。昭和17年由良は駆逐艦秋月と共にガダルカナル島近海を行動中、アメリカ海軍航空機の空襲を受け大破。麾下駆逐艦(夕立、春雨)により自沈処分(南太平洋海戦)。太平洋戦争で喪失した日本軍最初の軽巡洋艦となった。

1923年8月9日、館山での夏季戦技中、休養のため横須賀に入港する軽巡洋艦名取。昭和20年8月18日、名取はサマール島東方水域においてアメリカ潜水艦ハードヘッドの雷撃を受け沈没した。 久保田智艦長以下550名(便乗者含む)が戦死。

1905年2月27日、出撃準備完了時の装甲巡洋艦出雲です。昭和20年7月24日、呉軍港空襲により転覆・沈没した。戦没するまで45年間現役にあった。

停泊中の三段空母赤城。昭和17年6月のミッドウェー海戦で沈没。

1937年5月10日、第二次改装後の姿の戦艦霧島。1942年11月15日午前1時23分、サボ島西方(265度)11浬の地点で霧島は艦尾魚雷命中による浸水。左舷後部から転覆して沈没した。

1942年10月26日、南太平洋戦で作戦行動中の重巡洋艦筑摩 。レイテ沖海戦に参戦。追撃戦中の8時53分頃、筑摩は護衛空母ナトマ・ベイから発進したアヴェンジャーにより魚雷1本を艦尾に受け火災が発生。 舵の故障と速力低下で艦隊から落伍し、応急修理を実施した。10時20分頃から再びアメリカ軍機の空襲を受ける。 生存者の証言によれば、弾薬が尽きて演習弾で応戦するものの、午後4時頃に艦中央部に複数の命中弾を受ける。左舷に傾斜し、総員退艦が発令された。筑摩はその後、駆逐艦野分により雷撃処分された。1916年9月11日、横須賀軍港に停泊する第二艦隊旗艦時の巡洋戦艦榛名。呉停泊中に榛名が受けた命中弾は米戦略爆撃調査団によると、昭和20年3月19日に1発、6月22日に7発、7月24日1発、7月28日に7発、他に至近弾多数というものである。残された写真では後部に大きく傾斜しており、正面からの写真では艦首左舷も大破しているのが見て取れる。右舷側は江田島に近かったことから左舷を中心に攻撃を受けたことがうかがえる。上記本文と米戦略爆撃調査団による命中弾数が異なるのは、日米において命中弾・至近弾の認識の違いによると思われる。その榛名も1945年11月20日に除籍され、1946年5月2日浮揚解体作業に着手し同年7月4日に解体。

航行中の巡洋戦艦榛名