愛に恋

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愛は死と共に 山崎富栄の手記

本書はいつどこで買ったか覚えてないが、手に取った瞬間、これは確か家に文庫本があったはずだが、内容が同じものかどうかは判らなかった。併し、奥付を見ると昭和23年9月1日とあることからして、二人が心中した同年6月から2か月余りということになるので、初版本だろうと思い買うことにした。終戦からまだ3年も経っていない時期の本とあって紙質も悪く、旧字体でところどころ印刷ボケなどあり読みづらいが何とか読了。言うなれば彼女が太宰と会ってから死ぬ間際までの日記で、如何に富栄が太宰を尊敬し死ぬほど愛し抜いたかが繰り返し書かれている。「ひとりにしねいで」「死ぬときは一緒に」「連れてってください」など、とにかく二人は死によって愛の結実を願っていたような節がある。富栄には結婚歴があるが、たった1週間で夫はマニラに赴任。そして現地招集で軍に徴用され戦死したらしい。以来、男性経験がなかったが、ある日屋台で運命の糸に引かれるように巡り合ってしまった。それはそれとして、私が以前から疑問に思っているのは、何故、二人には子供が出来なかったのか。同時期に太田静子宅にたった4,5日宿泊しただけで静子は妊娠している。太宰と富栄は1年以上の付き合いがありながら妊娠しなかった。事実、富栄は静子に張り合うように妊娠を望んでいる。若し、妊娠していたら心中はなかっただろう。残るは太宰の結核だが、日本でBCGが打たれるようになったのはいつからだろうか。後に渥美清結核になり片方の肺を取って助かっているが、太宰の晩年、何とか医療の手で助かる見込みはなかったのか。どちらの死の願望が上回ったにしろ、何ともやるせない心中事件だった。織田作之助が死んだ22年から経った8年で、仲間同士だった太宰、林芙美子坂口安吾と立て続けて亡くなった次期、すべて私が生まれる前の話だ。