太宰にとって無二の親友とは、この伊馬春部のことなのだろうか。
伊馬宛てに二つの遺書が遺されている。
一つは、好きだった伊藤左千夫の歌。
「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」
この歌を何遍も繰り返し読んでみたが、今一つ分からない。
二通目は太田静子さんから借りていた「斜陽ノート」を本人に返すように書かれていたメモ書き。
本書は太宰を主役にした戯曲と、繰り返し心中を止められなかった無念やるかたない気持ちが縷々綴っている。
若い頃から飲み歩き、バカ騒ぎをした思い出に浸り、太宰を喪った損失寛から抜けきれないようだ。
戯曲の中で著者は太宰にこう語らせている。
「まことに相逢った時によろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きてゐるといっても過言ではあるまい」
さらに想い出として。
私は彼のくれた本の一冊に、さりげなく書かれたペンの字を、いまさびしげに見つめている。
あわれわが歌
虚構にはじまり
喝采に終わる
本当に悲しい詩ですね。
太宰は津軽の生まれだが、意外なことに沼津より以西は行ったことがないそうだ。
そういえば京、大阪の話を聞いたことがない。
死ぬには早すぎたということか。
ところで太田静子の「斜陽ノート」だが、伊馬春部は「折口先生の手文庫にねむることになった」とあるので、これは折口信夫だろう。
更に万一に備え副本を拵え、自筆の方は手文庫に預かってもらい、副本は自分が持ち、そして某月某日、下曽我の太田家に届けに行ったとある。
著者は初めてこの事を本書で公開したらしい。
この本が他の太宰評伝と違うところは、研究所・論考・随想の類は、それこそ汗牛充棟(かんぎゅう-じゅうとう)ただならぬ数があるが、本書はそれが実証的であることによって他の群を抜き、且つそれが大きな特色となっている点だろう。