愛に恋

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古典落語  

江戸の昔というのは世界に冠たる庭園都市だったということを知っているだろうか。詰まるところ江戸には三百諸侯の屋敷があり、何処でも競って屋敷内に庭園を造ったから他ならない。それに加え私が好きなものに武家言葉に町人言葉がある。今にそれを受け継ぐのは武家言葉が歌舞伎、町人言葉が落語となりはしないか。現在は失われてしまったが、落語といえばどうしても吉原、花魁、遊郭、色町など必要不可欠な言葉だ。色気なくして落語なしとでも言いたい。そこへいくと名人たちの博識には舌を巻く。

「両側の茶屋は、昼をあざむくばかりに灯りだ。月は満月なり、桜はまっさかり、げに不夜城の名義むなしからず、飾り競って出て来るのは、いずれを見ても飾り劣らぬ花くらべ」

一般人では出来ない話芸ですね。

「いやな起請を書くときにゃ、熊野でカラスが三羽死ぬ」

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」

「吉原へまわらぬものは施主ばかり」

と、落語は名文の宝庫なのじゃ。

「渋皮のむけた女」などと言うことがあるが、どういう意味なのか。勇ましい女性てこと。伝法肌を際立たせる為の枕詞みたいなもの、だとか。なるほどね、そんなことを言う人を見かけたことがないが、現在では死語といっていい。

論語』郷党にある『廄焚。子退朝,曰:「傷人乎?」不問馬。』からの逸話。

 厩(うまや)焚(や)けたり。子(し)朝(ちょう)より退(しりぞ)く。曰く、「人を傷(そこな)へるか」。馬を問はず。

 要旨は、孔子は馬より人の命を重んじた」ということらしい。

 

無学者は論に負けず。

ろくに知りもしないのに、知ったかぶりをする人。

 

傾城の恋はまことの恋ならで 金持ってこいが本当(ほん)のこいなり

 

年をとっても浮気はやまぬ、やまぬはずだよ、さきがない

都都逸