愛に恋

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円朝の女 松井今朝子

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三遊亭圓朝とはこの人。

その圓朝の死因は「流行性麻痺兼続発性脳髄炎」となっているが、俗にいう梅毒というらしい。

圓朝の前に圓朝なし、圓朝の後に圓朝なしってなもで、あの『牡丹燈籠』『真景累ケ淵』は圓朝の作で、中でも『塩原多助一代記』は修身の教科書にもなったほどだとあるが、私は読んでない。

本書は圓朝を愛した五人の女を章立てて書かれているが、何と言うか塩原多助一代記ならぬ、三遊亭圓朝一代記を弟子の口を借りて一人称で語られる話で、それこそ、長い物語を落語調で聞くようなもので面白い。

一人目に登場するのは田中某というお殿様の姫君、名を千尋という。

惣領息子がいないために将来は養子を取る予定だが、その千尋様に関して下世話な観察をする弟子。

 

見たところ女のわりには骨組みのしっかりした健やかな体つきで、腰や胸のあたりのふ

くらみが目立つようになり、下卑たいい方になるが、早やすっかり熟れきって男の手にもぎ取られるのを待ちかねた果実いったふぜい。

 

といった感じで著者は歌舞伎の演出、脚本、評論などを手掛けるた、早稲田大学大学院卒業の直木賞作家で、とても敵わない抜群な書き手で、ファンにならざるを得ない。

ところで江戸、明治の頃は五楼といって品川、新宿、板橋、千住、吉原と、今で言う風俗産業が盛んな場所だったとあるが、私は板橋の出なので、どの辺りにあったか気になる。

 

文明開化後、それまで妓楼、女郎屋などと言った名前を貸座敷と上品な名前に変えたが、やっていることは同じなんですよ。この世に男と女がある限り、その手のことはなくなるはずがないと思いますが、おおっぴら、結構じゃありませんか、別に悪いことでもないと思うからこそ、おおぴらにするんでしょ。全体どこが悪いんです? ちゃんとした理屈があったら教えてほしいもんですよ。

 

と弟子に語らせているが、言うまでもなく作者は女性だということを念頭に読んでほしい。

 

女房なんていうものは、ありゃもう女じゃねえ、竃(へっつい)に取り憑いている化け物みてえで、ハハハ、だから山の神なんていうんでしょうよ。そんなことをいったら女房が怒るだろうって? 怒りゃしませんよ。向こうだって亭主をわが宿にいるろくでなしと呼んで、家にいないほうがせいせいするといってる。まあ、どこの家の夫婦も似たようなもんですよ。

 

私などは、もちろん圓朝落語など知る由もないが、なんでも維新を境に芸風を変えたとある。

 

道具や衣装に凝って、派手な鳴り物入りの芝居噺をさかんにしてたのが、あるときを境にぱったり止めた。「寄席において歌舞伎に紛らわしい儀は相成らず」という新政府のお達しが再三再四あって、急にぐっと渋い身装(なり)で高座に上がって、扇一本で素噺に専念するようになった。

 

先日、NHK仁左衛門の『勧進帳』を見たが、もっと歌舞伎や古典落語を鑑賞するべきではないかと反省することしきり。

それにこの作者、今年67歳になるそうだが、人の世における読みところが妙に深く、語彙力が抜群で自ずと落語に惹かれる誘因となるような存在にも思う。

例えば圓朝の息子に対する評価をこのように書く。

 

そこは廃り者の捨てどころというわけで、一時は噺家になったこともあったんですよ。二代目の栄朝を名乗って前座に出て、ひいき目でなくそこそこ素質(すじ)があったのに、やはりどこへ行っても圓朝の子だと見られるのが我慢ならなかったんでしょう。これも長続きしませんでした。

 

と、まるで見て来たように書いている。

また、男女の仲をこう紐解く。

 

最初(はな)から取り繕わない男女の間柄は、はい、いずこも存外に長持ちがいたしますようで。

 

あまりべったりではなく、相手のやることに関心を払わない方が意外と長持ちするということだろうが、そうなってくると逆に夫婦の意味合いが問われると思うのだが。

さらに言う。

 

世のたとえにも「雌鳥(めんどり)に突かれて雄鳥(おんどり)が時をつくる」と申しまして、雄鳥が朝コケッコッコーと鳴いて時を報せるのは雌鳥のしわざ。

 

野球界の野村さんのお宅と、落合みたいなところか!

それにしても上手いことを言う。

夫婦仲に関しては!

 

恋仲と夫婦仲はどこがどうちがうとお思いで? あたしが見るところ、お互い自分が悪者になれるかどうかが大きな分かれめだという気がします。時には相手のために悪者にならなくちゃならない時だってある。それが夫婦というもんですよ。そこで縁が切れてしまうようなら恋仲で、お互い悪者になって、取っ組み合ってでもなかなか別れねえのが夫婦でしょうか。

 

なるほどね、読みが深いね旦那!

著者の教養を伺わせる言葉も紹介したい。

 

葬輿嫁入り(そうよよめいり)

 

初めて聞くな!

 

昔、女子は嫁に行ったら二度と実家に戻らないようにと、婚礼を葬礼とみたてたところから、 葬式をかたどった嫁入り。葬儀の輿(こし)に乗っての嫁入り。

 

そんな風習があったんだ。

ともあれ最初に書いてように本編は五人の女から見た圓朝となっているが、その内訳は、気位の高い旗本の娘、圓朝の息子を産んでのちに芸者になった人、吉原の花魁、柳橋の名妓から正妻になった人、そして圓朝の最期を看取った人、となっているが、本作は何の賞も受賞してないが、なかなかの名作だろう。

圓朝は落語にとっての大恩人だが、小説家にとっても非常に重要な人物らしい。

圓朝の口演を読んだ坪内逍遥圓朝のようなものを書けばいい」と、二葉亭四迷に言って、近代小説の祖、『浮雲』が誕生したとある。

そうだったんですか旦那、知らざー言って聞かせやしょー、ってなやつですね。

これからも読んでいきたい松井今朝子だが、意外とお年を召しているんですね。