愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

風草の道 橋廻り同心・平七郎控 藤原緋沙子

私にとって歴史小説作家と言えば司馬遼太郎吉村昭海音寺潮五郎で、時代小説作家は山本周五郎池波正太郎藤沢周平というところか。
テレビ、映画を問わず時代劇は昔から好きで『必殺仕事人』『大岡越前』『遠山の金さん』『鬼平犯科帳』などをよく見ていた。
 
時に人情話しで、ほろりとくる場面などあるのでつい見てしまう。
時代劇は一話完結が味噌、とにかく筋だけ追って行けば事足りる。
しかし、感動した話しであっても、その日のタイトルなどまず覚えていないものだ。
例えば寅さんシリーズの場合、タイトルではなくマドンナが誰かということからストーリーを思い出す。
故にシリーズ化された捕物帳や探偵ものなどは、読む先から内容を忘れてしまうことが多い、
 
私にとっては、その典型とも言える作家が西村京太郎、だから読まない。
がしかし、西村京太郎、藤沢周平、そして藤原緋沙子なる捕物帳を旨としている時代小説作家に、どっぷり浸っているお婆ちゃんがいる。
齢80歳にもなる、我が友人の御母堂だ。
と言っても、私とは一面識もない御仁。
 
友人の話しを聞くに、お年寄りには珍しく友達付き合いが嫌い、憩いの場所は自宅のリビング、厭きることなく、ひねもす一日、指定席で『相棒』や『サスペンスドラマ』を倦むことなく鑑賞し、その合間に読書に勤しむ。
外出は専らスーパー、図書館、病院が関の山で、まるで狛犬のように静かに暮らす。
御母堂にとって安寧とは変化のない生活のことなのかも知れない。
 
そんなある日のこと、友人が帰宅してみると、その日に限って夕飯の支度を忘れていたと、事も無げに話したとか。
 
「如何致した」
 
と訊くに御母堂曰く
 
「本があまりにも面白く、つい、夕餉の時刻も顧みず読書に没入してた」
 
と返答。
それを聞いた私、俄然、御母堂をしてそれほどまでに没入せしめた本とは、誰の如何なる本かと興味が勘考、早速、友人に問い合わせ、御母堂に訊き奉り、連絡を待つこと暫し。
 
その作品が即ちこれ、藤原緋沙子『橋廻り同心・平七郎控』というシリーズ物で、早速、近くの古本屋に出向き目的の品をゲット。
一読するに・・・!
まず、御母堂にとっては読書は飽く迄も娯楽。
泰然自若、3日に1冊の割合で読了していくらしい。
日没、夕飯の支度も忘れるほどの集中力は私にとって羨ましい限り。
今後とも読書に勤しむ毎日を送ってほしいと部外者ながら応援したいと思っている。
 
がしかし、藤原緋沙子なる作家の経歴を調べるに、どうも受賞歴は何もなさそうで、更には年間を通じて何冊も本を上梓しているようだが、このような量産体制で、いい作品が書けるのだろうかと心配してしまうが、要らぬお世話か。
だが、事の序に気になったところをいくつか指摘しておきたいと思うが悪しからず。
内容は「龍の涙」と「風草の道」の二話構成。
どちらかと言えば「風草の道」の方が面白い。
ちょっとした母子の人情話でラストに近い場面に、
 
「どこかで生きていてくれる、あたしはそれだけで生きられます。お願い、きっと逃げてね、鹿之助さん」
 
お涙頂戴の場面は、まあ、それなりにいい。
しかし、全体的には会話に問題あり。
例えば描写のくだりで、
 
父の同心としての姿勢に脱帽している
 
とあるが「脱帽」などという単語が江戸時代にあっただろうか?
編み笠、菅笠、頬かむり、頭巾、御高祖頭巾ならともかく「帽子」というものが存在しない以上「脱帽」という単語は無いものだと察するが。
また、同心平七郎が夕刻から、お勤めで出かけるにあたって母は以下のように言う。
 
「こんな時間からお出かけですか」
 
うむ・・・、どうだろう、ここは、
 
「こんな刻限からお勤めがあるのですか」
 
と訊いたほうがいいような。
では、これはどうか。
 
駕籠屋にひとこと、ふたこと言い、財布から駕籠賃を払っている。
 
ここは「財布から」ではなく「巾着から」または「紙入れから」の方がそれらしいと思うのだが。
 
更に盗人の会話では、
 
「決まっているじゃねえか、金だよ、金」
 
盗人家業の場合はやはり、「銭だよ、銭」がよい。
さらに駄目押しは、女中が同心に話した会話の中にで口止めのことを
 
「箝口令敷かれたのでしょう」
 
これはどうかな・・・?
時代劇を見ていて女中が箝口令などという言葉を使った場面を見たことがないし、武家の間でも当時はそんなことは言わないと思うが。
ちょっと厳しい指摘だが、だからと言って御母堂の趣味にケチなど付けるものではないことは御了承願いたい。
ただ、時代小説作家としては武家言葉、町人言葉に対し厳格であってほしいという願望を披歴したまでのこと。
 
とにかく、江戸期の武家言葉は美しく。
 
「亭主、長居をしてしまった上に、えらく馳走になり相済まぬことをした、許せ」「何を仰いますやら長谷川様、また近くにお越しの上はどうぞご遠慮なくいつでも、お寄り下さいませ。落ちぶれたりと雖もこの与平、長谷川様のお口に合うよう、いつなんなりとも上物をお出し出来るよう、腕に撚りをかけてお待ち申しておりやす」
 
なんてね。