しかし、この小説が出るまで檀一雄という作家のことは知らなかったと思う。
私はまだ若く、明治生まれの作家が次々に世を去る瞬間を無為に過ごしていた。
『火宅の人』は完成まで実に14年の歳月がかかったそうだ。
肺癌に苦しみ、死の床にあった檀一雄、最期の作品となった。
緒方拳主演で制作された映画は私の好きな作品でもある。
ところで、この『檀』という本は実に不思議な形態で書かれている。
作者が檀夫人に取材し、作品化されているが、書いているのは沢木耕太郎だが、語っているのは夫人のような形式を取っている。
読み手のこちらは、いつしか夫人の回想録を読んでいるような錯覚を覚えたまま物語は進行していく。
そして、昭和31年8月7日、夫からこんなことを切り出される。
「僕はヒーさんと事を起こしたからね」
と、敢えて浮気を公言するとはこれ如何に。
ヒーさんとは入江杏子の呼び名。
更に、普通なら内緒にしておくはずの浮気を小説として世に送り出すという暴挙。
流石に無頼派らしい振舞いに、周りは面白いだろうが家族としては大迷惑な話しだ。
傷ついた夫人は5人の子供を残し、一度は家を出たものの、直ぐさま舞い戻る。
理由として、どうしても夫のことを嫌いになれなかったと。
つまり、檀が常日頃戒めていた事柄。
猥談、陰口、悪口、非難がましいことは決して口にしなかったことなどを挙げている。
檀本人は入江杏子と同棲、それでも二人は離婚に踏み切らなかった。
話しは逸れるが、一体、檀一雄はどのような気持ちで後半生を生きて来たのか、一度問い質したいところだ。
または孤独を嫌いながらも放浪癖が抜けきれなかった生活。
健康であることを自負し、こんな威勢のいい啖呵も切っていた。
「諸君はやがて、80歳の破滅派を見るであろう」
しかし、病は確実に檀の体を蝕み、最初の兆候はめまいから始まる。
そして鼻血、体重の激減、下半身に紫の斑点、更に血尿にも悩まされるが、そんな体調不良をよそに昭和45年10月、火宅の人、未完成のまま渡欧。
やっとの帰国は47年2月2日。
特段、流行作家でもない檀の懐事情が気になるところだが。
結局、ここが終の棲家になった。
檀一雄は決して病院に行かなかったわけではない。
検査もそれなりにしていた。
当初、肝臓に疑念を抱いていたが結果は肺癌だった。
それを聞いた夫人は。
私は泣いた。こんなに泣いたことはないというほど泣いた。
最晩年、病床での苦しみは酷く辛いものだったとある。
浮気、別居、それでも檀から離れず最期をを看取った夫人。
無頼派作家の妻となることが宿命だったのか。
因みに檀夫妻はどちらもバツイチ。