愛に恋

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一九五二年日航機「撃墜」事件 松本清張

昭和27年4月9日に起きた「もく星号墜落事故」は、何度となく目にする事故だが、今までその詳細は知らないままだったが、古書店で見つけた松本清張最晩年の本書をようやく手に取った。同年同月末に調印となったサンフランシスコ講和条約前の事故なので、厳密にいえば事故当日はまだ占領下にあり、日本人による自主的航空運営が認められていなかった。故に事故機を運行していたのは日本航空であったが、機長と副操縦士ら運航乗務員はノースウエスト・オリエント航空のアメリカ人。事故機は羽田を離陸して大阪を経由し福岡に向かう予定。午前7時57分に「もく星号」から「館山通過、高度6000フィートで雲中飛行、8時7分大島上空予定」と報告した。だが直後の午前7時59分ごろ伊豆大島上空で消息を絶った。翌10日の8時25分に捜索活動を行っていた同僚機によって、伊豆大島三原山噴火口の東側1kmの御神火茶屋付近の山腹に墜落しているのが発見され、乗客・乗務員37名全員死亡が確認された。本書は前半がノンフィクション形式をとり、途中から小説となっている。問題は6000フィートで飛行していれば三原山に激突するはずがなかったのに、実際は2000フィートを保持したまま飛んでいたようだ。また、同時刻に米軍機、約10機が近くで飛行しているのが確認されている。当時はまだ朝鮮戦争化にあり、松本清張は同機が山に激突ではなく、米軍機に仮想敵機として撃墜されたのではないかと憶測しているのだが。そこに至るまでにはややこしい問題もあるが、今となっては解決は不可能だろう。