現在のウクライナの首都キーウは、一見、平和を取り戻したかのように、市民は日常生活を謳歌しているように見える。
カフェで広場で、戦争は何処か遠い場所で行われ、表情には明るささえ見てとれる。
然し、実際には日に3度の空襲警報がなり完全な平和というわけではない。
ある人は、浮かれる若者を見て「あいつらはどうかしている。今、私たちに必要なのはロシア兵を殺すことだ」別の若者は「僕は兵隊には向かない。いくら戦争でも人を殺すなんて出来ない」。
ウクライナは成人男性の60歳以下は国外退去が出来ないが、然し、総ての男性が兵役に就いているわけではない。
徴兵といっても多くは志願兵で、それは成人男性の3%にしか過ぎない。
そこで軍は街に出て男たちに軍に志願するつもりはないかと「徴兵カード」を渡す。
渡された男は期日までに出頭しyesかno返事をしなければならない。
勿論、拒否も出来るが、その代わり「裏切者」というレッテルを張られる。
海外に脱出した数百万の市民、国内に残って戦争に参加しない国民の間で、ある現象が起こっているという。
それがギルティシンドローム(罪悪感)。
毎日、多くのウクライナ人や兵士が死んでいるのに自分は何もしてない。
本当にそれでいいのか。
私は冷徹に考える。
古来より戦争は合法的な殺し合いだ。
ロシア兵を殺したくない。
然し、いよいよ負け戦になってロシア兵が雪崩を打って国内に侵入してきた場合、いったい何が起きるか考えてみるがいい。
そら恐ろしい結果が待っているではないか。
若し。私の目の前で愛する家族がレイプされ殺されようとしているのを発見したら、私は迷わず敵を殺す。
戦争は殺るか殺られるかだ。
躊躇している場合ではない。
殺されてからでは遅いのだ。違うか。
今、そこにある危機だ。
戦争は始まった限りは勝たなければならない。
負ければどうなるか、相手はアメリカではなくロシアなのだ。
間違いなくゼレンスキーには死が待っている。