今日は戦前のロサンゼルス・オリンピックの金メダリスト、バロン西の話をちょっと。
「バロン」と名の付く訳だから男爵ですね。
歴史に詳しい方ならご存知かと思うが、薩摩士族で物の本にもよく登場する、外交官、枢密顧問官などを歴任した西徳二郎が父親。
妻武子の祖父は同じく薩摩士族の川村純義海軍大将です。
その西が、中尉だった頃に出場したのが、1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技。
金メダルに輝いたのが誰あろう、バロン西だったんですね。
この記録は現在に至るも馬術競技では唯一の金なんです。
当時有名になったのが愛馬ウラヌス。
イタリアで一目惚れした西は自費で買い入れ、オリンピックへ出場。
多くのアメリカ人の記憶に残り、後にロサンゼルス市の名誉市民にもなっているんですね。
悲劇が訪れるのは1944年です。
前年、陸軍中佐に昇進し戦車兵として1944年3月には戦車第26連隊連隊長を拝命。
運命の硫黄島へ向かいます。
涙を誘うのは8月、戦車補充のため一旦帰郷、その折、馬事公苑で余生を過していたウラヌスに再会。
ウラヌスは西の足音を聞いて狂喜、西中佐は今生の別れに来たのですね。
運命の日、米軍側は「バロン西、出て来なさい。私たちは貴男を殺したくはない。どうか投降してください」とマイクで呼びかけたそうです。
然し、当然のことのように西中佐はそれに応えることはありませんでした。享年42。
この件に関しては城山三郎さんも書いておられるが、真実、西中佐への呼びかけがあったのかどうか疑問が残るところです。