珍しく朝晩、訃報記事になってしまった。
今でも信じられないが、このヘレン・シャピロのカヴァー曲を歌った当時の
現在の何百というアイドル歌手の中でこれほどの歌唱力を持った子もいまい。
彼女は子供の頃から天才少女として米軍キャンプなどで歌っていたが、同じく米軍キャンプで歌っていた伊東ゆかりは弘田を見て、あの子は将来どうなるんだろうかと後年テレビで言っていた。
そのニュースを数刻ほど前、行きつけの喫茶店で読書に疲れ、スマホで今日のコロナ状況でも見ようかとタップすると、いきなり飛び込んできたのが
73歳、心不全とある。
カウンター内で働く馴染みの店員たちに向かい、「弘田三枝子が死んだって」
だがそれから半時ほど経って、みっちゃんの声、「山本寛斎が死んだって、白血病だって」、どがいなってるんじゃい、年上の山本寛斎は知っとるんかい。まったく。
弘田三枝子を知らないということは、梓みちよ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、森山加代子も知らないと言うことだぞ、おい、とは言わないが私としては本当に驚いた。
そこで思い出した同じ話をいくつか。
以前、檀ふみのエッセイを読んでいた時のこと、控室で着物を着ていると、誰だか忘れたが若い女性が入って来て、「こんど、何を演るんですか?」と聞くので「山内一豊の妻をやるのよ」と言うと、すかさず「山内一豊の妻って誰ですか?」と言われ、思わず仰け反ったとあったが、これぞ同じ体験だ。
さらに先週のブラタモリを見ただろうか。
伊豆大島に行ったときの再放送だったが、伊豆大島といえば波浮の港、あんこと椿ですね。
そこでタモリが「アンコ椿は恋の花」の話を持ち出すと、何とNHKのアシスタントの女の子、「アンコ椿は恋の花」を知らないと言うので、さすがのタモリもビックリしていた。
本当に、いつの間にかそんな時代になってしまったわけだ。
私の若い頃の友達はみな年上で、最年長者が七歳上だった。
年下の友達がいないので自然、私が最年少になるが、日々、飛び交う話は新聞ネタが多く、20歳前半の私は知らないことも多々あり、話に着いて行けなかった悔しい思い出ばかり。
あれは、新自由クラブが発足した時だったと思うが、離党という単語が新聞やラジオで飛び交い、その「離党」でさえ初めて聞いた言葉だった。
負けず嫌いの私は、とにかく年上と同等に話せるよう、雑学や歴史、邦楽は戦前・戦中・戦後のヒット曲、軍歌や大正時代の中山晋平さんやオペラ歌手の藤原義江さんの『出船の港』や『波浮の港』など好んで歌ったものだが。
そんな折も折、半月ほど前、喫茶店で24歳の女の子といろいろ話しているうち、音楽の話へ移行。
お互いウォークマンを持っていることから「私は乃木坂とか、欅坂が好きなの」というので、私のウォークマンにはサザン・桑田と洋楽だけだが、洋楽の話をしても仕方ないので、サザンオールスターズと桑田佳祐と略さずに言うと、来た~~~~~!。
「知らない」、「ええ、サザンとか桑田佳祐って知らない?」「聞いたことない」。
これですよ、確かにサザンのデビューは42年前、然し実際には今でも現役バリバリ、今度のオリンピックのために民放が総力を結集して桑田に新曲をオファー、その桑田佳祐を知らないじゃと!
「者ども、出あえー、乱心者じゃ斬り捨てぇ」
「オジサンですよ、ええ、おじさんですとも、しかしね、10代から70代までの幅広い年代層に支持されている唯一無二のバンドなんですよ。そのサザンをよくもまあないがしろにしおって。煮ても焼いても飽き足らない奴、彼奴め思い知らせてくれようぞ。
ねえ先輩方、東海林太郎さん、近江俊郎さん、ディックミネさん、淡谷のり子さん、高峰三枝子さん、何か一言、言ってやっておくんなさいまし」
「嗚呼、世ももう末だって」
貴女、誰に文句を言われるわけじゃなし、別に顔などいじらなくてもこのままでよかったんですよ。
合掌!