愛に恋

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悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝 浦久俊彦

 
パガニーニなんていう名古屋弁のようなヴァイオリニストは、クラシック・ファンを別にすれば、日本での知名度は如何ほどなのか、読んだ私も分からない。
著者も言っている。
パガニーニをまともに描いた書物は、世界中を見渡してもあまりない、ましてや日本ではほぼ皆無だという。 

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        この肖像画ドラクロワが描いたパガニーニ
 
ただ、五世紀に及ぶヴァイオリンの歴史の中で、パガニーニに匹敵するヴァイオリニストは現在に至るまでただのひとりも現れなかったらしい。
いったい、パガニーニとは何者なのか、著者は書く。
 
驚異的な技巧でヨーロッパ中を熱狂させ「悪魔」と呼ばれたヴァイオリニスである。ナポレオンの妹など貴婦人たちに囲われ、博打と酒と女に溺れた守銭奴、ヴァイオリンを片手に、かつてどんな音楽家も夢見ることすらできなかった巨万の富を築き、病弱で干からびたように死んでいったひとりの音楽家
 
干からびたように死んでいった。
虚弱体質だったのか、幼少期から過敏症に悩まされ、発疹熱に始まり、咽頭、気管支、膀胱、粘膜炎、呼吸困難、痙攣性咳嗽(そう)、カタル熱とあるが、巨万の富を得たためか、博打、恋愛と放埓な青春時代を送り、毒素を抜くために下剤を乱用し体力を奪っていったようだ。
 
さらには長期間潜伏した梅毒と診断され、水銀と咳の抑止剤として処方していたアヘンで慢性中毒になり、胃と歯肉が冒され、口内炎歯周病、歯肉炎で歯は抜け落ちた。
 
もう、満身創痍なんていうもんじゃないね。
これで、計6年100都市以上400回に及ぶヨーロッパ公演をしていたというから驚く。
いったい、パガニーニ旋風とは、どのようなものだったか少し書いておきたい。
ウィーン公演でのある批評家評。
 
この街で、こんな大騒ぎを巻き起こした芸術家は、このヴァイオリンの神が初めてだ!
大衆が金を払いたがるコンサートなど今までなかった。それに音楽の巨匠の評判がこれほど下層階級まで広がったことも、私の記憶にない。
 
この演奏会の印象は、到底ことばには言い表せない。目撃者の話では、コンサートが終わって何時間たっても街中人であふれ、パガニーニの話で持ちきりだった。
 
それも、かなり高額な料金だったらいしい。
イギリスの代表紙ザ・タイムズでは。
 
パガニーニはおそらく史上最高のヴァイオリニスト奏者であるだけでなく、神の域まで達した唯一の人間だ。彼を適切に判断するには、演奏を聴くべきである。彼は、疑問の余地なく、現代でも過去でも最も秀でた音楽の天才だ。
 
換算すると、イギリス公演の一年間だけで稼いだ金額は80億円!
というと、個人的に念願だった最高級の自転車が買えるな(笑)
当然、同時代の芸術家の多くも聴衆に紛れていた。
ロッシーニベルリオーズショパンシューマン、リスト、ブラームスラフマニノフらに多大な影響を与えたとある。
シューベルトなどは1828年3月29日の演奏会を聴いたが、たった数週間の演奏でパガニーニが稼いだ収入はシューベルトの一生分を超えていた。
シューベルトは、なけなしの金を払ってでもパガニーニを聴きたかった、その気持ちが哀しい、だが、翌年には亡くなっている。
しかし、そこまでみんなが言うなら是非、聴いてみたいと思うのが人情だが、録音技術がない時代の音楽では聴くことも出来ない、それが残念だ。
 
億万長者になったパガニーニの晩年は悲惨だった。
彼の願いはひとり息子のアキーレ・パガニーニに財産を残すことだが、死の年の病状は咽頭結核及び肺結核、喀血、血便、広範囲な浮腫、咳、咽頭、胃腸及び膀胱障害、失声症、深刻な無力症など、更にこの時期、ビジネスに絡んで訴訟問題もあり、心身ともに最悪だっただろうに。
私にはパガニーニの悪魔性とはどういうものか分からないが、ゲーテの言う、
 
光を光たらしめるのは影の存在であるように、芸術を崇高なものにしているのは、まぎれもなく芸術の持つ悪魔的な要素なのだ。
 
なるほどね!
パガニーニは、そのあり余る莫大な財産で、ヴァイオリンを収集したらしいが、「カノーネ」と名付けられた愛器を決して手元から離そうとしなかった、そのカノーネは現在、ジェノヴァ市庁舎となっているトゥルシ宮殿に保管、展示されているようだが、百聞は一見に如かず、明日にでも行ってみるか。
 
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