愛に恋

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墨東の堀辰雄 その生い立ちを探る 谷田昌平

 
 貯金額と違って読書量というのはどうもあてにならない。
貯蓄はその気になれば増えるわけだが読書は仮に一千冊読んでも、それに見合った知識が蓄積されるかと言えば少なくとも私の場合はその限りに非ず。
読んだ先から心太方式のように忘れてしまう頼りなさが現実なのだ。
 
堀辰雄に関しては以前『堀辰雄 その愛と死』『物語の娘―宗瑛を探して』という本を読んでいるのだが、すっかり失念、有之。
やはり私のような凡夫は、その対象となる人物を知るには異なった本を少なくとも三冊は読まないと安心できない。
 
だからと言って今回の本を探していたわけではなく、行き付けの古書店で目に付いたので買ってしまった。
いったい、堀辰雄の生い立ちにどんな秘密があるのか記憶を正すためにも意地になって読んだが、どうもこの作者、まるで重箱の隅を突くように細かい。
 
例えば出生地の住所にしたところで現在では当然地名変更があるわけで、辰雄が書き残した番地など事実と違う点は細かく修正、移転先も丹念に調べ直し場合によっては役所にも出向き聞き取り調査を行う。
更に読み進めていくと著者は辰雄と二度の対面があるというので改めて略歴を見てみると、1923年神戸生まれの文藝評論家となっている。
はて、堀辰雄はいつ亡くなったのか・・・?
1953年(昭和28年)5月28日没年とあるからなるほど計算が合う。
だが、この本の出版は1997年で著者自身、既に亡くなっていた。
 
ところで、今更ながらだが辰雄は東京生まれだということを初めて知ったが、どうも辰雄は東京という大都会のイメージにそぐわない。
文学上、堀辰雄立原道造と言えば軽井沢か信州追分という先入観があり、作風も爽やか過ぎて女の脂粉を感じさせない分、今以って薫風のような感慨で捉えているからだと思う。
 
さて、生い立ちだが明治37年12月28日、堀浜之介と西村志氣の間に生まれたとあるが、浜之介には病弱の本妻があり西村志氣は芸者。
道ならぬ恋のようにも思うが浜之介夫婦には子がなく、戸籍上は浜之介と妻コウの嫡男として届け出るが当初より辰雄が成長するまでの期間が条件で、故に実母志氣も堀家に住み、謂わば妻妾同居ということなる。
 
だが、2年足らずで志氣は辰雄を連れて出奔、妹夫婦を頼り煙草屋を営み生計を立て明治41年、上條松吉なる男性と再婚。
が、どうしたわけか辰雄は堀姓ままで、養父となった上條松吉は区裁判所に「後見人就職」として届け出て受理されたとある。
 
「後見人とは法律上親権者のいない未成年者の監護教育に関して親権者とほぼ同じ権利義務を有し、被後見人の親権を代行する人のこと」
 
ということだが、既に堀浜之介夫婦は死去している。
その後、志氣は関東の震災時、隅田川で溺死、養父松吉も昭和13年に亡くなる。
しかし辰雄は姓が違う養父を死ぬまで実父として疑ったことがなかったということが本書のテーマなのだろう。
表紙の写真は11歳の辰雄と養父の松吉ということになる。
事実を教えたのは母の妹、それにしても立派な人物に育てることを唯一の生甲斐として生きた志氣の最期は哀しい。
 
しかし、この本の読み難い。
著者の所為ばかりではなく辰雄の残した記述にもその一端が伺える。
例えば辰雄が子供の頃に見た軍神広瀬中佐の銅像に関して呼び名が一貫していない。
 
「軍人さんの銅像」「海軍将校の銅像」「怪物のやうな大きな銅像
 
どうやら出版にあたっては改訂稿があり、結果的に銅像は広瀬中佐ということになるが読むには煩雑過ぎる。。
まあ、とにかくこれで一安心。
因みに辰雄の妻、多恵子は平成22年4月16日に96歳で亡くなったが最近まで生きていたんだ。
 
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