愛に恋

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馬車馬

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「旦那、いくら何でもこれはちと酷いんじゃないですかい。車を積んであっしに引かせようというんですか、そりゃあんまりだ。馬をこき使うにも程がある。他の馬をを見て御覧なさい。何処の馬が車なんか引いていなさる。あっしが引いてもらいたいぐらいでさ。親友のロシナンテと相談して飼い主を替えてもらうことにしますだ。怒らないでくださいよ。こうなったのも旦那の所為ですからね。とにかく行きましょう。これが最後の仕事にさせてもらいますだ。ハイドウ。あっ、間違えた。これは旦那が言うことですよ」

「まあそう怒らんでくれよ。頼むから。帰ったら特製の人参をたらふく食わせるからさ」

「人参、にんじんって、あまり馬をばかにするのもいい加減にしてもらいたいもんですね。人参を鼻の先に垂らせば走ると思っている、その人間の浅ましさにはもううんざりでさ」

「じゃ、どうしたんいんだ」

「決まっているがんす。ロシナンテみたいに種馬に鞍替えしたいんでさ」

「ええ、お前まだそんなに若いの」

「旦那、見損なっちゃいけませんぜ。これでも毎日、雌馬の2頭や3頭は相手にできる体力はありますずら」

「然しお前、お前の種じゃまた馬車馬がいいところだぜ。それでもいいのかい」

「ああいいとも。同じ体力消耗なら種馬の方がよっぽで生きる甲斐があるってもんですからね」

「そうか、お前がそこまで言うなら、帰ってからかかあに相談してみるよ」

「頼みますよ旦那」

モニカ・ベルッチ Part.7 

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 モニカさん、去年散々アナタを探し歩いて疲れましたよ。

私ね、アナタのことだから夜は絶対一人じゃないと思いますね。

男なしでは寝られないタイプでしょ。

これだけ脱ぎっぷりがいいわけだから、正直言いなさいな。

隠したって駄目ですよ。

ただね、毎晩同じ男じゃ飽きるでしょ。

それが人情というものです。

替えなさい。

男をですよ。

毎晩じゃなく、たまには西洋人を止めて東洋人にしなさい。

それもジャパニーズがいいですよ。

意気のいいジャパニーズを知っていますから、アナタの一声があればもう即ですよ。

今年はおニューにして心機一転。

いいと思うよ。

エドゥアール・マネ Part.8 

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《プラム》(1877年頃)ワシントン・ナショナル・ギャラリー

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《フォークストンからの汽船の出航》(1869年)

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《画家(マルスラン・デブータンの肖像)》(1875年) サンパウロ美術館

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《驚くニンフ》(1860-1861年ブエノスアイレス国立美術館

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《死んだワシミミズク》(1881年) ビュールレ・コレクション

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《灰色の羽根帽子の婦人)(1882年)

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《イザベル・ルモニエ》(1879年) ダラス美術館

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《ナナ》(1877年) ハンブルク美術館 

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《テュイルリーの音楽会》(1862年

マネさん、貴方の絵はゴッホのようにこってりタイプじゃなくあっさりタイプなんですね。
それに、そんなに拘った写実的でもなさそうだし。
ちょっとお聞きしたいんですがね、《メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑》ですが、あれね、いくら何でも少し近すぎではありませんか。
もう少し遠くから描いた方がよかったように思うのですが。
それにね、何故、この絵を描こうと思ったのか不思議です。
実際に見たわけではありませんよね。
今度、教えてくださいな。1862年 

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訃報 福本清三

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少し遅れましたが「5万回斬られた男」の福本清三さんが、今月1日午後5時26分、肺がんのため京都市内の自宅で亡くなったそうです。

享年77歳。

5万回と言っても、そのうち何回斬られた場面を見たかは定かではありませんが、名前は知らなくても誰でもが知っている役者さんですよね。

2003年に公開されたハリウッド映画「ラストサムライ」には、日本人キャストの1人に抜擢されてましたね。

ご冥福をお祈り申し上げます。

リンダ・カーター Part.7 

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 70's.

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70's. 

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70's.

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♪リンダ、リンダー、リンダ、リンダ、リンダーァァ。
なんていう歌があるぐらいでしてねリンダさん。
もうね、貴女みたいな美人でスタイルのいい女性は私と付き合うしか生きて行く道はないと思いますよ。
そう思いませんか。
そう思うでしょ!
当然ですよね。
僕たちが腕を組んで街中を歩いてみなさい、みんな横断歩道の途中でも立ちどまって私たちを見ますよ。
何というお似合いのカップル。
まさに美男美女とはあの二人のことだわってなもんですよアナタ。
ええ、私のエスコートで更に貴女の美しさが引き立つわけですよ。
さあ、直ぐにお出でなさい。
 





ウィリアム・アドルフ・ブグロー Part.4 

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《芸術と文学》(1867年)アルノー美術館

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《夕暮れ》(1882年)ハバナ美術館

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《渇き》(1886年

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《山羊と戯れるバッカンテ》(1862年ボルドー美術館

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《夜》(1883年)ヒルウッド美術館

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《ガチョウ番の少女》(1891年) ジョンソン美術館 

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若い女性労働者》(1869年)

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《編み物をする女性》(1869年)

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《若い羊飼いの女性》(1868年)

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《羊飼い》(1889年) フィルブルック美術館

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《小さな泥棒》(1900年)
ブグローは19世紀後半のフランスで最も活躍した画家だったにも関わらず、死後忘れ去られて、1979年ころからやっと再評価されるようになったんですってね。
近年の評価では、美術史上最も人物がうまい画家であると評され、
ミケランジェロレンブラント、カラバッジョと並び称される超巨匠と言われていますよ。
また、国際的には熱烈なファンが非常に多い画家でもあるんだってさ。
へえー、貴方、そんなに凄い方なんですか!
貴方の絵は、その殆どが女性ばかりですね。
それに近代画家なはずなのに、作風に中世画家を思わせるような感じがするのは、これまたどうしたわけですか。
うん、確かにどれも上手く描かれていますが、どうもね、私としてはあまり好きなタイプの絵じゃないんですよ。
悪く思わないでくださいね。

訃報 半藤一利

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昭和20年3月10日の大空襲で、一夜にして東京市民が10万人も亡くなったというから、その日の空襲が如何に凄まじかったかが分かる。

我々が尤も憎むべき相手は第20爆撃集団司令官のカーチス・ルメイ男です。

是非、覚えておいてください。

こいつは如何に多くの日本人を丸焼けにして殺すかを考案した奴です。

その大空襲のさ中、墨田川に飛び込んだ中学生の少年がいました。

多くの水死体が浮かぶ中にです。

溺れかかったところを後ろから衣服を引っぱられ助かったのが半藤一利少年でした。

作家になった半藤さんは「歴史探偵」などと言われ、昭和史や漱石に関する著者が多い方で、昔、『その時、歴史が動いた』では、よくゲストとして出演され、私も大変勉強させてもらったものです。

何の番組だったか忘れましたがNHK終戦前日の8月14日、岡山に疎開している谷崎の所へ荷風が訪ね、近くの宿で一泊するということがありましたが、その時、谷崎は乏しい食料事情にありながら、牛肉、卵を用意して荷風をもてなしたということでした。

その疎開先を作家の嵐山光三郎と半藤さんが訪れ、当時のことを話し合う番組があり、私も是非行ってみたいと思ったものです。

半藤さんには『日本のいちばん長い日』という名作がありますが、私が読んだのは大宅壮一の『日本のいちばん長い日』の方で、どちらも14日の御前会議から終戦に至るまっでの経緯を描いたものですが、昔、東宝映画で三船敏郎主演で映画化され、史実を忠実に再現した名作で、森師団長惨殺や阿南陸相割腹などもある感動作でした。

それら歴史の達人半藤一利さんが亡くなられました。享年90歳。

残念なことです。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

余談ですが、谷崎に別れを告げ、電車に乗った荷風は夫人が作ってくれた昼食の弁当を終戦になったのも知らず食し、その時の感想が日記に書いてあります。

「出発の際谷崎君夫人の贈られし弁当を食す。白米のむすぴに昆布佃煮及牛肉を添へたり。欣喜措く能はず」

谷崎にとっては荷風は大恩人なわけでして。

乱筆乱文になり失礼。