さて、何をどう書こうか。
今回ばかりは中々良いイントロダクションが浮かばない。
数日悩んでパソコンに向かったが、どういう着地点になるか、まあとにかく始める。
よく、新聞でこんな記事を読む。
複数殺人者の量刑を巡る裁判で、事実認定そのものは争わず検察側は死刑を求刑、弁護側は無罪を主張。
被告は事件当時、心神耗弱だったという弁護人のお決まりの答弁だ。
まあいい、しかしだ、仮に無罪になって医療機関で治療を受けた後、また殺人事件を起こした場合は誰が責任を取るのか。
無論、弁護士が責任を負うことはない。
あの時、死刑にしておけばという意見も出そうだ。
そこで以前から考えている疑問を書く。
戦後、射殺に加わった若いセルビア兵は法廷に立たされ泣きながら陳述していたが無抵抗の捕虜殺害は有期刑は免れない。
ジュネーブ条約違反だ。
勿論、その行為を是と言う気はさらさらない。
戦争は当然の如く命の遣り取りで、明日は我が身かも知れず極度の緊張を強いられる。
敵兵に対する憎悪、殺戮が日常のものであれば当然、正常な感覚は失われる。
略奪、暴行、強姦と発展することは容易に想像出来る。
昔、『砲艦サンパブロ』という映画があった。
救出成功後、ひとり最後まで残って革命軍と撃ち合ったマックイーンは銃弾を受け斃れる。
銃を取り柱に背を付けて座り込んで一言。
「国で普通に暮らしていたのに」
その刹那、銃声が響き絶命。
つまり戦争とはそういうことだ。
戦争さえなければ普通の人間として生涯、人を殺すこともなく平穏な家庭生活を営んでいたはずだった。
しかし、入隊すれば誰とても命令に従う、それが規律であり職務だ。
何れの国でも軍旗違反は軍法会議にかけられる。
下手をすれば死刑もあり得る。
本題に移るがアドルフ・アイヒマンの場合はどう見たらいい。
簡単に言えば「ユダヤ人問題及び移住担当」ということになる。
裁判に先立ち、アイヒマン尋問のために30人の捜査チームが組まれ途方もない作業が割り当てられる。
チームはホロコーストに関する詳細な知識を誰1人持ち合わせず困惑しているところに提出された42巻のニュールンベルグ裁判記録と数千枚のニュールンベルグ継続裁判資料を読まされ、被告らが遺した参考文献も読み込みメンバー全員が極度の疲労に襲われ誰1人3時間以上寝るものは居ないという状態にまで追い込まれ、全ては細かいガイドラインに則って行われ、尋問時間275時間、録音記録からの調書3,564枚。
何しろ国家ぐるみの犯罪などは歴史上稀で、その証拠に大型書店の世界史コーナーに行くとドイツ史が一番多い。
際限もなく書き継がれるナチ関連の本、翻訳者も同じことを言っている。
私も末席ながらその一人で、かなりのナチ関係の本を読んで来た。
『ニュールンベルグ裁判』『ヒトラーの犯罪者』など挙げたらキリがないが、本だけでは飽き足らず、VHS時代に通信販売で『第二次世界大戦記録』のビデオを買い、あまりテレビでは見ることの出来ないゲットー内部や東欧占領地域での処刑の様子などかなり生々しい映像がある。
話しを戻す。
私がアイヒマンなる人物を知ったのがいつの頃か覚えてない。
まず、レスはアイヒマンの印象をこのように書いている。
おそらく、長身のブロンド、射るような碧眼、残虐な表情、尊大な態度、要するに映画でお馴染みの典型的なナチの風貌をした男を思い描いていたのかもしれない。
ところが目の前に現れた人物は、私より少し背が高いだけの、痩身というよりは痩せぎすで、頭の禿げ上がった平凡な男に過ぎなかった。フランケンシュタインでも、角の生えたびっこの悪魔でもなかった。外見だけでなく、その極めて事務的な供述も、私がさまざまの資料から思い描いていた彼のイメージを大きく損なうものだった。
つまり、恐るべき怪物的な人間を想像していただけに落胆も大きかった。
眼鏡をかけ、一見小心翼々といってもよい何の変哲もない平均的警察官吏タイプの55歳の人物に直面し、さまざまに想像していたサタン的相貌とのあまりの落差に戸惑いや驚きを隠せなかったようだ。
さて、大戦初期のユダヤ人移住はこのように行われた。
最大で1人50㌔の荷物と100マルクの現金の携行を許されて列車へ押し込められる。
それ以外の彼らの資産は、ドイツ国家に没収。移送には9両の貨車が仕様され、3泊4日の移送の末に、フランスの強制収容所に収容され、その内1000人がのちに脱走、または別の場所に移住し、2000人が飢餓と病気で死亡、残り全員がのちに東部へ移送されそこで殺害された。
二人の問答はスリリングでレスはアイヒマンの予想を遥かに超える資料を読み解き、同僚などの証言や手記から、アイヒマンが如何に命令に忠実でユダヤ人問題の最終解決に心血を注いでいたかを立証、論破しようと多くの資料を読み聞かせ、その度にアイヒマンは、そんな事を言った覚えはない、全てデタラメだと悉く反論する。
そこでレスも応酬する。
あなたは、あれもこれも、すべて自分の管轄ではなかったと言う。どれもこれも、すべてあなたの部署に関係していたのに、責任がなかったと言うんですね。じゃあ、何でこれらの資料すべてに、あなたの名前が出てくるんですか?
責任がない人間にしては、おかしくないですか?
レスは常にこのような調子で敬語を使って話、決して恫喝はしない。
二人の問答を続ける。
「でも、私が疎開させたすべての人々が殺されたわけではありません。もちろん、誰が殺されて誰が殺されなかったのかまでは、知りません。しかし、事実として戦後も240万人のユダヤ人が生き残っていたという事実があるわけです」
「ユダヤ人が生き残っていたのは、あなたのお陰ではありませんよ。もし戦争が長引いていれば、おそらくその200万人も生きてはいなかったでしょう。すべてのユダヤ人を根絶することが、あなた方の計画だったんですから」
ここは、凄くリアル観のある会話だろう!
注目に値する。
解説ではアイヒマンの主張はこういうことになる。
自分は命令を受けてそれに従っただけであり、自らの意志で人を傷付けたことはないという論理に強く拘る背景には、第三帝国では命令に従わない者は命をもって贖わねばならなかったという主張があった。確かにアイヒマンは自分の行為を潔く認めて、それが死刑に値すると公言したが、その一方で再三にわたって死刑から逃れようとしている。ヒトラーの命令で自分が行った行為は、民族抹殺が罪とされていなかったニュルンベルク裁判以前のことなので、そこまで溯って罰することは誰にも出来ないという彼の主張もその一環である。
レスは言う。
「あなたはまだ、そうしたことすべてが『移送の技術的問題』に過ぎないと主張しますか?」
「そうです、大尉殿。それは・・・もちろん、そういうことすべては・・・移送に関係したことでした。しかし殺害ではありません。疎開と移送・・・それが殺害と混同されて大尉殿、これは移送なんです。殺人とは関係ありません、大尉殿。大違いですよ、今だってそう言えますよ」
それに反駁するようにレスは次々に資料を読み必ず最後に付け加える。
「これに対して何か言うことは?」
話しはずれるが日本の場合、ポツダム宣言受諾から連合軍進駐まで約半月近くあったため軍事機密の多くが焼却されている。
しかし、ドイツでは国内戦があり、特にベルリン攻防戦は熾烈を極めたため重要書類を焼却する時間がなかった。
特にドイツ人は書類を重視、レスも言っている。
「ドイツ人は厳密さで知られている。そういう徹底性は抹殺にも現れていた」
本書を読み終えて思うことは革命期や戦時に於いて人間は平常たり得るのかという疑問だ。
世界史ではどこの国でも残虐行為が行われて来た。
大戦中、ドイツ民族総てが犯罪者になったわけではないがカリスマ的指導者が現れプロパガンダの天才ゲッペルスを伴い僅かな期間でこれほどまでに国民を啓蒙誘導出来るのかと大いに疑念を持つが実際出来たのだから仕方がない。
歴史上、隣国を植民地化したような過去もあるが民族抹殺とい憎悪感までは持ったことがないはず。
アイヒマンの経歴には何の犯罪歴もない普通の教育を受けた一般市民が時代のへ変革と指導者に魅了されることによって非人間的な人物に成り得るといういい見本でもある。
とまれ、時代の変革期にあたって条件が整えば我々一般人もアイヒマンのようになる可能性もあるのかという問題に尽きる。
詰まる所、本書はそのような問題定義をごく普通の庶民に問いかけている。
いざ、有事になったら自分だけは人間的理性の基に敵兵と亙り合えるのか?
アイヒマンがいくら任務だ、命令だ、逆らえない、移送だけだったと答弁しても彼の犯した罪はあまりにも桁外れ。
「命令の意味や理由を探ることは禁じられていました」
とアイヒマンは言うが、他方では、
「必要な非常さで自分は任務を遂行した」
と述べている。
開廷3ヵ月後、裁判官を驚かせたアイヒマンの弁論を引用して終わりたい。
「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原則となるように行為せよ」
と、自分はこれまで人生をカントの道徳格率、義務観念に則って生きて来たと言い、対して裁判官は、
と反論している。
絞首刑は1962年5月31日深夜執行された。
歴史問題は常に想起と忘却の繰り返しで、風化させないためにもそれは必要なことだが、ナチが犯した犯罪は、その大きさに於いて歴史上類例を見ず、底の垣間見えない深さなのだ。
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