愛に恋

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エレーヌ・ベールの日記 エレーヌ・ベール

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この日記の存在を最近まで知らなかった。

アンネの日記』との違いは、一室に閉じ困って隠れているのとは違い、エレーヌ・ベールはドイツ軍占領下のパリで、ユダヤ人証明の腕章を付けていれば、それなりに自由行動が許されていた点だろうか。

ソルボンヌ大学に通い、婚約者もいたが、知っての通り、敗北したフランスは二分割され、ドイツ軍直接統治の軍政と、ペタン元帥率いるヴィシー政府に分かれていた。

戦後問題になったのは、フランス警察がドイツに協力して、ユダヤ人狩りに加担したこで、例えば1942年7月16・17日にヴィル・ディヴの一斉検挙と呼ばれるものでは、ドイツ軍の要求に応え、フランス政府は占領地帯、非占領地帯の双方で、外国籍ユダヤ人の大々的な一斉検挙に踏み切った。

こうした中で、パリのユダヤ人民間団体は、一斉検挙が切迫していることを知るが、エレーヌ・ベールはフランス国籍だったことから、当面は逮捕を免れたが、一体どのようなことが起きるのか想像しただけでも恐い。

これより先の、7月9日、ドイツ軍による第9号政令には。

 

興業施設、劇場、映画、美術館、図書館、競技場、プール、公演、レストラン、ティ-サロンにユダヤ人は行くことを禁じられ、商店には15時から16時までしか入ることができなくなった。

これでは散歩以外することがない、幸い学校とは書いていないのでエレーヌは大学に通うことは出来たようで、続けて10月27日水曜日の記述に。

 

月曜の朝、まったく何の「理由」もなく、ボーマルシェ大通りで25家族が逮捕された。アパルトマンの入口の扉はただちに封印された。もしここがそうなった場合には、私のヴァイオリンと、ジャンからの手紙とこの日記を入れた赤い紙ばさみ、そして今まで手放すことができなかった何冊かの本を救い出したい。

 

ジャンというのは婚約者のことで、彼は密かにスペインを超え北アフリカに渡り、ドゴール率いる自由フランス軍に入隊しフランス解放を目指していた。

43年12月27日の日記は長いく、末尾にはこのように書いている。

 

22歳で、自分の中に感じるすべての可能性が不意に失われるかもしれないという自覚する人間は、たくさんいるのだろうか? 私は自分の中に巨大な可能性を感じていると言うことに、少しもためらいを感じない。それは自分の所有物ではなくて、与えられたものだと思うから。

 

私が再び明るいところに、ジャンが帰ってきたところに出られる瞬間と、今の私のあいだには、底知れない黒い通路がある気がする。というのも、ジャンの帰還は、わたし自身の復活となるだけでなく、幸福の復興、みんなの幸福の復活のシンボルになるから、わたしの側には強制収容所があり、ジャンのほうにもたくさんの危険が待ち受けてにる。

 

1944年2月14日

「わたしはずっとアンドレの家に、両親はロワズレの家に泊まっている。毎晩、家を出るとき、やっぱりうちで夜を過ごそうか、という議論を蒸し返したくなる。ただ、もう疲れたという思い。うちで夜を過ごしたい、自分のベッドで眠りたいという誘惑のせいで、既に検討した意義が表面に浮かび上がってくるけど、それは意図的に却下される」

 

3月7日、ベール一家は自宅に戻ることを決意、その翌日8日の朝、7時半に彼らは逮捕され、3月27日、彼女の23歳の誕生日に両親と共にアウシュビッツに強制移送された。

自宅に帰る決断が間違っていたわけだが、知人の家を転々と移り住むのにも疲れていたのだろう。

この日記は彼女が逮捕された場合、ベール家の料理人、アンドレ・バルディオに託し、婚約者のジャン・モラヴィエキに渡すよう依頼されていたもので、たまたま、ベール家の人たちが逮捕された朝、その場にアンドレは居合わせた。

彼女の最期がどのようなものであったか証言がある。

 

収容所がイギリス軍によって解放される5日前の朝、チフスにかかったエレーヌは、点呼のときに起き上がれなかった。彼女は看守のひとりに殴り殺された。仲間たちが戻ってきたとき、彼女は床の上に横たわっていた。そのとき、エレーヌの中に残っていた生命の炎は消えた。

 

大戦中、フランスから強制収容所に送られて死亡した人は、実に76,000人。

このような恐怖はいくら本で読んでも、やはり実体験がなければ正確には伝わらない。

私の生誕からそう遠くない昔、嘘のような話が実際にあったかと思うと、常に考えさせられるのは、今でこそ文明社会は平和を保っているが、いざ、世界大戦ともなれば人間の持つ残酷さ、人間の狂気が爆発し、過去の轍を踏むようなことがまた起きるのか。

戦後も各地で起きた残虐行為、本来、人間にはそのような行為に走る非人道的な維持装置が備わっているのではないかと疑いたくなる。

過去のあらゆる拷問、処刑方法などを見るに、そのおぞましい行為を行ったのも人間だから。

話が長くなったがエレーヌは大変な読書家で、文末に期間中、読んだ本が記載されている。

例えば『チボー家の人々』を読んで、「芸術の素晴らしさは、その激しさにある」と記しているが、その通りだろう。

最後に43年11月30日の日記を記しておく。

 

私たちが確実にもつことのできる魂の不死の経験とは、生きている者たちのあいだに持続される死者の思い出だ。